見出し画像

言語化が苦手な理由

私は特に言語化が苦手だと思ったことがないので
このことについて深掘りしたことがなかったのだが
あまりにも「言語化が苦手」と言う人が
周りに溢れてきたので考えざるを得なくなってきた。


noteにいる人は
言語化が苦手な人はいないと思う。
だってnoteだから。


読みにきてる人はいるかもしれないね。


私なりの考察というか
思ったことだけど
言語化が苦手、と言うのがまず何を指してるのか?
も人による。

言語化したい、と言う前提があるとして
大きくこの二つに分けられるかと思う。


言いたいことがあるのに
どうやって表現していいかわからない。


そもそも何を言っていいかわからない。


前者の場合は
単純に言葉の絶対値が少ないのだと思う。
いわゆる「語彙」とか「表現」と言う部分。
本を読んでない人にとても多い悩み。
文語と口語もあまりわかってない様子。


会話をそのまま文章にすると
とてつもなく読みにくいことを多分知らないし
口語のほうが読みやすいという人も
これに当てはまる気がする。
でもブログとかnoteとかは口語でもいいとおもうけど。
私も口語で書くことあるし(いまもだけど)


インプットしてないから
アウトプットもできないという簡単なロジック


どんなことでもそうだけど
真似して、身につけて、ここはこうした方がいいかも
の自己流が生まれていく。


この真似の部分がまずできてないのだと
観察していて思う。


絵本でもいいからまずは
簡単な文章をプロがどう書いているのか?
を見てみるのもお勧めしたい。


この感覚をこんな表現であらわすのか〜と
そう言うストックを増やしていけば自ずと
この悩みは解消する。


まずはプロの真似をする。




つぎに後者だけど
実はこれがとても厄介。



何を言いたいのかわからない。は
すごく重症。


文字を書く以前に自分と向き合うことが
必須となる。


自分が今どんな気持ち、考えなのか
何を感じ取ったのか、何を思ったのか
何を頭に浮かべたのか
そう言う細やかな自分に起きた反応を
拾っていく必要がある。


しかしこれ、今までずっと誰かの言うことを
聞いてきたり、
正解を辿って生きてきた人には非常に難しいこととなる。



自分が何を感じるか、考えているか
思っているかを優先することなく
「こうしておいた方がいい」という自分以外の
正解を優先してきたから
自分に起きている声が全く聞こえないのだ。



全員が全員ではないけれど
あとは、自分の思ったことが正解なのか?とか
正しさを求めて何を言っていいかわからないという
他人軸世界観で言語化できない人もいる。



言語化がしたいけどできないと悩んでいる方は
まずは自分がどのタイプで
どこに問題を抱えているのか?を探って
そこをほぐしていく必要があると思う。


でもまたその問題がなにか?も
わからないと言うことになると思うので
カウンセラーさんやコーチのように
自分の内面を整理してくれる人に頼るのもあり。


あ、それ。私もできます。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?