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自分で決めない事を決めた就職活動

私達世代の就職活動は
超氷河期世代と言われた
ものすごく就職が大変な時期だった。


そんな中でも
私が通っていた学校は
全員行く先が決まって
進学と就職も合わせて100%だった。


氷河期と言われてはいたが
学校に来ている募集企業はたくさんあって
色々と選べる恵まれた環境だった。


友人達はどこに行こうかと
会社や海外赴任などの可能性も含めた選択をしたり
自分のしたい事を活かせる企業を探したり
もう少し勉強したい子は進学先を選んだりと
活発に動いていた。


私はというと・・・
もう勉強する気はなかったので
就職することだけを考えていたのだが
母が家から通えるところでないとダメだ。
という言葉を受け入れて
地元企業の中から選ぶことになる。


ここに入りたかったのか?
と言われたらわからない。


そうしなければならないと
もう思い込んでいたから
地元企業で家から通える
目についた企業、そこにエントリーしただけ。
他に選択肢も思いつかなかったのだ。


今思えば
母に何でも決めさせていたのだと思う。
その方が何か失敗が起きた時や
思い通りに行かなかった時に
母に責任を押し付けることができる。


母の言う通りにしないと
怒られるから!怖いから!
と顕在意識では思っていたが
多分本当の本当は


自分のことを自分で決めるのが
極度に嫌だったんだろう。


だから何でも母に決めてもらっていたのだと
今になっては思う。


就職するのだ。
もし本当に母が嫌なら
どうしても嫌なら
家を出る絶好のチャンスだ。


それなのに家にいることを選んだ。
母に支配されることを選んだ。


まぁでももう逃げることを忘れた
サーカスの動物のような感じだったかも知れないけど。

エレファントシンドロームとも言えるかも。


就職活動は1社しかしなかった。
すぐに内定をもらえたからだ。


晴れて私は地元の、家から通える就職先に決まったのだが
これまた情熱を持って自分の強い意志で
選んだ企業ではなかったからか
組織というものに馴染めず
体を壊し夏を待たずに会社を辞めてしまった。


さらに家の中での
私への風当たりは強くなったのは
いうまでもないが。。。


就職活動、今ならどんな行動しただろうなと
そんなことを想像したりするが
そもそも学校から選び直した方が早かったかも。


だって私、本当は理系じゃないし。
学校も母が喜ぶと思って
学費のとても安い負担のかけない
国立の理系に進んだのだが・・・
これはまた別のお話にて。


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