お金が幸福の尺度だとしたら世の中不幸な人だらけ

一般的には持てる資源や資質が多くなればなるほど良いことであり、人間の幸福度にも大きく影響すると考えられると思います。なので人々はよりたくさんのお金を稼ぐ方法を模索したり努力を惜しまなかったりします。

この考え方は元々は概ね正しかったのですが、いつからかそれらに重きを置きすぎるようになり、しまいには幸福とは何かを考えた時の最適解であるかのように考えられがちになってしまいました。

その考え方で幸福になる人も存在するのですが、残念ながらそうならない人の方が多いのが世の中の事実であり、又.受け入れるべき現実でもあります。

収入が増え続ける一部の人達の幸福論やそうした一部の人達が成功した稀有な例を挙げ.誰もが同じように生きていけるかのように謳うモノで世の中は溢れています。

そして同じようになれないのは努力が足りていないとか素質がないとか余計な事に頭を悩まされ.焦りやストレスを感じてしまう。

しかしそもそもそんな想いをしたあげく一部の人にしか恩恵を授けないような幸福論は正しいと言えるのでしょうか。

たくさんのお金を稼ぐことこそが人間の最大の幸せであるという虚構から逃れる事がなぜこんなにも難しいのでしょうか。

まず一つはお金を使うハードルが下がりすぎているという問題があります。

あなたは欲しいものがある時どうやってそれを手に入れようと考えますか?と訊ねられれば大体の人は「買う」と答えると思います。

しかしそもそもそれがすでに感覚がズレているのです。手に入れたいものがある時には「貰う」「借りる」「奪う」「交換する」「買う」という順番に選択肢があり.お金を使って買うのは最終手段であると考えることができる訳です。

にも関わらず大抵の人達はいつからか選択肢を自ら捨て去り浪費をし続けています。

それから.自分が何に対してお金を払っているのか理解せずに遣っているという問題もあります。これは家計簿で支出を把握するとかいう類いの話ではないです。

例えば多くの人がコンビニで買い物をするかと思うのですが.コンビニの商品は基本的に他で買うより値段が高いです。それはコンビニがどこにでもあって.いつでも買い物することができるという利便性によるものであると考えられます。

つまり商品そのもの以外の価値に対してもお金がかかっている訳です。ということはコンビニで買い物をするのは出先で急に必要なものができてしまった時であって.予想される需要を満たす為ではないと考えるのが自然であると言えます。

それから自分のプライドの維持にお金を遣っている人も驚くほどたくさんいます。そしてそういった人は大抵自分がプライドにお金を払っているとは気づいていないことが多いと感じます。

目の前の商品やサービスを買っていると思いがちになるので気づきにくい構造になっているだけで実は人は本質的には意味のないお金の遣い方をたくさんしている訳です。

それに気づかないうちはお金をどんなに稼げるようになったとしても幸福になることは難しいのではないかと思います。

いくらお金があってどれだけ欲しいものを手に入れたとしても満たされる事はまずないと考えられるからです。

確かに人は貧困であるよりも豊かである方が幸せだと感じるかも知れないですが.本当の貧困とは何ぞやと考えてみるに.それはお金のあるなしやそれによって何を手に入れられて.何を手に入れられないのか、ではなくお金さえあれば手に入る環境であるか否かだと言えると思っていたりします。

つまり所持しているお金の多い少ないに関わらず.手に入れようとした時にその手段が存在している事が豊かさであると思っていて、さらにその手段が一つ(買う)だけでなく選択肢が多いほど豊かであって.幸福につながる考え方なのではないかなと思いました。


以上でーす。


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