「金魚と飴」2024年3月19日から2024年3月24日

ライターの作業の一つの「言語化」があると思う。

心の中の機微、組織の中の言い表せない違和感、風景の美しさ、食べものの味……こういったものは言葉に表しにくい。そこをどうにかこうにかして言葉にしていくのが言語化である。

言語化をすると「言語化がうまい」などとほめられることもある。ただ、言語化をほめられるのって、なんだかちょっと気持ち悪く感じてしまうこともある。

例えば……飴細工というものがある。飴細工って細かい表現ができるので、実物にある形に似せたものを作る人がいる。たとえば、金魚に似せた飴細工とか……。そういったものを見たことがある人もいるだろう。

そして、金魚に似せた飴細工って、実物の金魚には全然似ていない。ハッキリと違うものと認識できる。もちろん細工自体はすばらしく、興味を引かれる対象だ。

言語化もこれに似ている。言語化されたものって、本物とは全然別で、金魚と飴くらいの差がある。

そのはずなのに、「言語化されたもの」自体がこの世にあると思ってしまっている人が、多くはないでしょうか……?

飴でできた金魚が、池を泳いでいる。そう考えてしまっている人が、多くはないでしょうか……?

誰かに言語化されたあなたの心の中のモヤモヤ、そんなものはあなたの心の中にはないのではないでしょうか……?

という感じで、ちょっと気持ち悪いのだ。もちろんそんなことは承知の上で、飴細工としての金魚を楽しんでいるのだったら、まったく問題ない。

でも、世の中を観測しているとそうじゃない人も多いな、という印象を受ける。

2024年3月19日

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