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不幸の比較

 よくキリスト教の偉い立場の人が言うのですが、
 「弱い人の立場に立って」とか「一番小さくされた人に寄り添い」とかね。

 そういう人は決して弱い人の立場になど立っていないし、一番小さくされた人っていっても「あなたは二番、三番です。さようなら」と言われたらどうするのか。

 不幸の比較ほど意味のないものはないと思うのですが、栗田隆子さんという人が、YouTubeで、興味深いことを言っていました。
 
 「世の中には、私よりずっとつらい思いをしている人がいるのだから、これくらいはがまんしないと」っていう発想だと、逆に「あの人は私よりつらそうじゃなさそうではないか」というふうに思うようになってしまうということ。ものすごく賢いことをおっしゃるかたではないですか。

 みんなしてつらいのですから、比較はできない。みんな、声をあげればよいのだ。(←これも誰かが言っていた)

 だから「社会の底辺で苦しんでいる人に寄り添って」と言っている人のほとんどは、自分が苦しむ側になる可能性を考えていない。弱くも苦しくもない人が、つらい人のためにやってやっているという感じになっている。いつでも立場は逆転し得るのに。

 そういうわけで、今回は、かしこい人の意見の紹介でした。以上です!

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