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「どんな仕事も社会に貢献している」と思える社会へ

はじめまして、コピーライターの梅田悟司です。今月から日経COMEMOにて寄稿をさせていただいています。

日経COMEMOには、毎月決められたテーマに沿ってみんなが投稿する「日経朝刊投稿募集」の企画があります。今月のテーマは「# 仕事で社会貢献を感じた経験」でして、僕もこのテーマについて書いてみようと思います。

社会貢献を感じるには「きっかけ」が必要だ

社会貢献を感じた仕事というと、日々の業務とは違った、立派で高貴な仕事のように感じられます。僕も仕事を通じて「これは社会の役にたったな」と思える案件がないわけではありません。ESGやSDGsに直接関係する仕事も行っています。

しかし、今日僕が書きたいのは、具体的な内容ではなく、自分の仕事が誰かの役に立っていると思えるようになった「きっかけ」についてです。

忘れもしません。コピーライターになりたての頃、僕ができることといえば、とにかく量を出すことだけでした。コピーのコの字もわからないため、質を担保することはあきらめて、量で勝負せざるを得ないのです。それこそ「コピー100本、200本」という世界です。

そして、とにかく書きまくった努力の証ともいえる「コピー100本、200本」を、全体会議で全て読みながら発表していくわけです。聞く方もツラいと思いますが、発表する方もなかなかツラい……。いま思えば全員の時間を奪うような行為でしかありません。途中から「いつ終わるんだよ」という空気を感じながらも、話し切るしかないわけです。

すべて説明し切ったあとで、申し訳ない気持ちで、散乱したコピー用紙を回収するまでが一連の所作となります。そこで、ある人が口を開きました。

「いやー、たくさん考えてくれてありがとう。視野が広がったよ」

彼は、いたたまれない空気を和らげるために、このように発言したのかもしれません。しかし、僕はこの一言がめちゃくちゃうれしかったことを覚えています。コピーは箸にも棒にもかからず、1本も採用もされなかったわけですが、自分が量を出す意味を、言葉で示してくれたのですから!

それからというもの、僕は、量を出す意味を見出すことができました。誰も考えつかなかった角度から考えることで、議論の幅を広げる。そう、チームのために仕事をしている感覚を得ることができるようになったのです。

自分の仕事が誰かの役に立っていることに気づくには、きっかけが必要です。そのきっかけは「君の仕事は社会の役に立っているよ」という、あたたかい反応に他なりません。

そこで一度でも貢献感を獲得できれば、その後の仕事でも「これもきっと誰かの役に立っているに違いない」と思えるようになり、自然と力が入るものであると信じています。チームへの貢献なのか、社会への貢献なのか、は対象とする人数の違いでしかありません。

世界は誰かの仕事でできている

僕はいまも「僕がうんうんうなりながら考えていることが、誰かの何かの役に立つかもしれない」と思いながら、仕事に向き合っています。それはとても幸せなことですし、きっかけを与えてくれた人には感謝しかありません。

それと同時に、僕がきっかけをもらったように、自分と関わる人には、仕事を通じた貢献感を獲得し、いい仕事をしてほしいと思っています。

とはいえ、できることは少なく、簡単なことしかできません。「あなたがいて、その仕事をしてくれて、助かったよ」というあたたかな反応をするだけです。

人によって、行っている仕事によって、言葉は違いますが、「あぁ、こんな仕事にも大切な意味があるんだ」と感じてほしいという願いは共通しています。その気持ちが、仕事への熱量を高めることを、身を持って知っているからです。

こうした願いが言葉として結実した仕事があります。ジョージアの「世界は誰かの仕事でできている」というキャッチコピーです。ジョージアは長い歴史を持つ缶コーヒーブランドで、歴史を紐解いていくと、高度経済成長期から働くひとに寄り添い、最も近くから働くひとを見守り、応援してきたことが分かります。

そこでたどり着いたのは、「どんな仕事も誰かの役に立っている」という事実とは裏腹に、「自分の仕事は何の役にも立っていない」と思っている人が多いというジレンマです。きっと事実が大きすぎて、その事実に気づくことができないんだと思います。

そのジレンマへの答えの糸口は、僕の経験のなかにありました。その仕事への感謝と敬意を伝える。その人の努力に対して、あたたかな反応をする。ただそれだけです。

あの日、僕が仕事と社会とのつながりを感じたように、多くの人が自分の仕事と社会がつながっていることを感じてほしいという思いが、この言葉を紡ぐ原動力になったのです。

「どんな仕事も社会に貢献している」と思える社会へ

仕事には金銭の授受が生じます。そのため「お客様は神様」といった考えによって、支払いをしている方が偉く、支払われている方は言うことを聞くべき、といった風潮も根強くあります。

しかし、実際はこうした主従関係は存在せず、お金を払って、自分ではできないことをしてもらう、自分が持っていないものを譲ってもらう、といった相互依存の関係が存在するに過ぎません。

自分で食事を作りたくないから食事を作ってもらう。自分ではできないから、専門家に何かをつくってもらう。その価値の対価でしかないのです。

社会はギスギスした空気に包まれています。閉塞感のなかで、ストレスのぶつけ合いが起きており、自分が受けた仕打ちを、誰かに返してやろうという空気が流れています。仕事における人間関係にも、負の影響が色濃く出ているように感じます。

そんな時こそ、誰かが負の連鎖を断ち切り、やさしさの連鎖を生み出す「起点」となる必要があります。僕は、確実にできているとは言い切れませんが、その一人になりたいと思っていますし、あたたかな反応をもって、その起点になるべく行動しています。

企業単位でのパーパスや、ミッションもビジョンも、大事だと思います。SDGsやESGも、誰一人他人事では済まされない、世界的に重要なテーマです。むしろ、本テーマでは、そういった内容を書くことを期待されていたのかもしれません。

しかし、僕はもっと些細で、草の根的で、ほかの人にとっては取るに足りないような個人のなかに生まれる貢献感こそが、すべてのはじまりであると思います。

「ありがとう、助かったよ」

そんなあたたかい反応から「どんな仕事も社会に貢献している」と思える社会が生まれます。この記事を読んでいるあなたも、そんな『やさしい世界』の起点になることができるはずです。


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