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津田梅子を描いた新しい文庫本が出ます

 2019年12月に単行本として出た『梅と水仙』が、文庫本になって発売になります。連休明けの5月9日ころには、大きな書店には並ぶかと思います。帯のスモーキーピンクが効いて、とてもきれいな本になりました。
 内容は津田梅子と、父親の津田仙のふたりの視点で、章ごとに交互に書いてあります。要するに父と娘の物語です。これを書こうと思ったのは、梅子よりも、津田仙に興味を持ったのがきっかけでした。梅子の留学は、仙の意思である部分が大きいし。
 津田仙は、もともと千葉の佐倉藩の出身で、若くして蘭学と英学を学び、幕臣の家に養子に入って、幕府の外国方の仕事に就いた人です。梅子が生まれたときに、ふたり続けて女の子だったので、怒って何日も家に帰らなかったというエピソードがあります。それを女性蔑視と見なす向きもありますが、仙としては外国方の役目は自分の力で掴み取ったものだし、どうしても、わが子に継がせたかったのでしょう。でも女の子では、それができないのです。そのために、へそを曲げてしまったのだと思います。
 そもそも女性蔑視の人ならば、娘を留学させたりしないでしょう。明治以降は洋式農業を取り入れようと、東京で農場を開いてアスパラガスを作ったり、私立農学校を開いたり、新しい農業の専門誌を発行したりしています。その一方で女子教育にも熱心で、女子校だった青山学院の創設にも関わっています。亡くなった後は、青学のチャペルで、お葬式が執り行われました。
 津田梅子は歴史上の偉人なので、偉人は細かいことに思い悩んだりしない崇高なイメージがあって、私たちからは、かけ離れた存在になりがちです。でも実際には悩みや苦しみがあったはずで、そういう部分を書きたいと思いました。
 私は結婚してから8年間、夫の仕事の都合で、アメリカ東部で暮らしました。でも行ったときよりも、日本に帰ってきてからの方が大変でした。向こうで娘2人を産んで、アメリカの子育てしか知らなかったので、帰国してからは驚きの連続。
 たとえば家族で、お好み焼き屋さんに行ったときのこと。お店のお兄さんがカウンターの向こうから、「あ、お母さんは、そこに座ってね」と椅子を指し示したのです。日本では他人から「お母さん」と呼ばれるのかとビックリ。今、考えてみると、何をビックリしたのか、それがビックリですけれど。だから「◯◯ちゃんママ」なんて呼び方も知りませんでした。
 津田梅子は6歳で渡米して、17歳で帰国したのだから、もっとビックリがいっぱいだったと思います。彼女は日本語を忘れていたし、日本語ができなければ、教師の仕事もできない。せっかく11年も留学した成果が、なかなか出せず、つらかったと思います。念願かなって女子英学塾を立ち上げたのは、30代半ばでした。
 津田梅子は7月に5000円札の顔になります。私の本によって、どんな女性だったのか、ちょっとでも憶測していただければ幸いです。PHP文芸文庫で、税込み990円です。


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