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「なぜ働くのか?」の前に、「なぜつくるのか?」の話をしよう。

Text / Sara Hosokawa Photo / Shun Shimizu Interview with Shogo Otani, Naoto Uemura


「これ、なんでつくってるんだろう?」

仕事をしている中で、そう思ったことはないでしょうか。大きなお金が動いているし、有名なクリエイターが関わっているけれど、それがつくられた先にどんな景色が見えるのか想像できない仕事。本来制作とは関係のないはずの事情が絡まって、途中からピュアさが失われてしまった仕事

「仕事だから。」そう割り切って、それを生み出すことの意味は腑に落ちていなくても、見て見ぬふりをして進めていく。そういう経験がある人は少なくないのではないでしょうか。

働くことを、いわゆる「仕事」ではなく、もっと「生き方」として捉え直そうという視点は、西村佳哲さんの著作によって拡がっていったように思います。そして「仕事」に対しての価値観の揺らぎは、コロナ禍によってさらに増し、世間では「働き方論」がますます増えています。

しかし、その前段の「つくる」ことについてはあまり話されていないのではないでしょうか。

働き方を豊かにするとは、働く中で生み出すものが自分にとって豊かなものであるということ。ということは、「なぜそれをつくるのか?」が腑に落ちていないと、本質的に豊かだとは言えない、と言い換えられるかもしれません。

だから、働き方論の前に「なぜつくるのか?」を考えたいと思います。「働くこと」「生きること」を哲学し続ける301のメンバーに、筆者・細川紗良が問いかけてみました。

301(サンマルイチ) https://301.jp/
「Meaning=意味」を起点にしてブランドや場をプロデュースするクリエイティブカンパニー。人間哲学と生活美学を深く見つめ、人と人との関係性を丁寧に紡ぎながら、「価値」ではなく「意味」を起点にして”文化とビジネスの交差点”におけるブランディング・プロジェクトを領域横断的に手掛けている。

「新しい何かを生み出すことよりも、半径1m以内に存在する“日常”に新たな視点を持ち込むことにこそ、人間の想像力とクリエイティビティが求められる」。この思想をもとに、「生活の場」としての飲食店と「創造の場」としてのデザインスタジオを融合させたNo.(ナンバー)を運営。日々の営みから得られる圧倒的なリアリティと経験値をもとに、一杯のカクテルを味わうような「日常の豊かな体験」をひとつひとつ積み重ねていくようなアプローチで、日常に寄り添うブランド開発から都市のランドマークとなる複合施設やネイバーフッドコミュニティのプロデュースにまで取り組んでいる。

「つくる」に理由はないのかもしれない

まず話を聞いたのは、代々木上原〈CABO〉や池尻大橋〈大橋会館〉など、主に場を立ち上げるプロジェクトを牽引する上村直人さん。プロジェクトを自分ごと化し、チームメンバーに伴走するのが得意に見える彼だが、自身がつくりたいものは何なのだろうか。「今、お金や時間のことを何も気にしなかったら何がしたいですか?」という問いを投げかけてみた。

プロデューサー・上村直人さん

── No.のお客さんで医療建築というジャンルを学んでいる人がいるんですが、その人と話していたとき、元々自分が好きなアンビエントを医療行為として考えるプロジェクトをやりたいなと思いつきました。医療建築と聞くと、患者さんに対してノンストレスな環境を用意することと想像しがちですが、大事なのは適切な負荷をかけること。例えば足が折れた人が社会に復帰するには、適切な傾斜を使ったリハビリが必要ですよね。それを音楽に置き換えると、例えば待合室のオルゴール、あれって逆に具合悪くなりませんか(笑)? 例えば出産のときには、EDMがかかっていた方がむしろアドレナリンが出て元気に産めるんじゃないか、などと話している中で思いついたのが医療行為としての音楽です。そこで仲の良いアンビエントのレコードショップの人と、医療建築を学んでいる人と一緒に、そういうことを考えていくことをプロジェクトにできないかと。
自分は何かものをつくりたいというよりも、自分を介して出会った人たちが同じテーマのもとに集まっている、というシーンが見てみたい。この人とこの人が一緒にいたら面白そう!この人たちと何かやりたい!と瞬間的に思ってしまう、という感覚です。あとから意味はついてくるんですが、最初は理由がないかもしれません

「なぜつくるのか?」を問うたとき、「だってやりたいから」に帰結することが、その人のピュアな「つくる」ことなのかもしれない。思考やロジックよりも先に、直感や身体が動いてしまうような

西村佳哲さんの著書に書いてあったことを思い出す。

「『自分がお客さんでいられないことは?』、という問いはどうだろう。── 他の誰がやっていても構わずにいられる仕事は、いわば他人事の仕事と言える。でも『好き』だけではすまない。── 気持ちがザワザワする。落ち着かない。見たくない。悔しい。時にはその場から走り出したくさえなるような、本人にもわけのわからない持て余す感覚を感じている人は、そのことについて、ただお客さんではいられない人なんじゃないかと思う。」

『自分をいかして生きる』西村佳哲/著

── 世の中には、意味を考えるよりも先に「やりたい」という衝動から生まれるものが、想像以上に少ないですよね。それらしきものは多いけど、「本当にそれをやりたいのか?」と問い詰めていくと、「仕事なんで」みたいなスタンスで、そこにその人本人はいなかったり
最近ある友人から、ブランド立ち上げの相談を受けました。彼女は既存のブライダルリングのあり方に疑問をもち、パートナーシップのあり方も多様になってきている時勢の中で新しいブランドをつくりたいと思っていた。そんな彼女と話しているうちに、これは意味があるとかないとかではなく、絶対やったほうがいいね、と思ってしまったんです。そういうとき、クライアントとクリエイター、という形ではなく、真ん中に絶対やった方がいいと思うことがあって、その周りに人がいるみたいな関係性になっていると感じます。

301に相談しにくる中には、そういった「どうしてもやりたい」が元々ある人も多い。

しかし、仕事と言われているもののほとんどは「これを売りたい」「この状況を改善したい」など解決を求められることからスタートする。誰かの「やりたい」が最初からあるわけではないプロジェクトも多い中で、301はどうやって仕事の中に「つくりたい」を生み出しているのだろうか?

「つくりたい」を仕事で実現させる鍵は「リアル」を追求すること

「自分の人生の中で、それをつくる意味はあるのか?それをつくることをずっと楽しめるかどうか?」301の代表であり、No.のオーナー・大谷さんは、そんな問いをクライアントワークの中でも持ち続けている。多くの人が「そんなこと言っていられない、仕事だから」と思い捨ててしまうような姿勢を、どのように保ちながらプロジェクトを実現させているのだろうか。

301代表/No.のオーナー・大谷省悟さん

── やってることはどのプロジェクトでも徹頭徹尾一緒。クライアントやチームに対して「それって本当にやりたいの?」「それって自分や友人が使うことを想像できる?」、 そういう問いかけを続けているだけなんです。それって言い換えると「リアル」だということ
基本的な考え方として、「課題解決」よりも「想い」から仕事が始まるべきだと思っています。僕が必ずやるようにしているのが、主語を「会社」ではなく「自分」に置き換えてもらうこと。会社のもつ課題を解決するためではなくて、「あなたは何をしたいの?」と主語を換えて、目の前の人の想いを聞くようにしています。その人の興味を持っている対象に自分も興味を持つことで、お互いにそのプロジェクトに意味付けられている状態をつくるというのが、仕事が始まる最初の段階で常に意識していることです。

プロジェクトのスタート地点で、どう関係性をつくっていくか。依頼側が持っていた課題的なものをチーム全体で共有できるビジョンとして編み直し、テーブルの中心に置くことで、フラットでフェアな関係性の中でプロジェクトを進行させていく。そうすることで、時には、面白くないことを面白くないと言えるような、いわゆる「依頼する側/される側」ではない関係性をつくっていくのだと大谷さんは話す。

先に話を聞いた上村さんも、「自分にとっては形にすることが最終目標ではなく、チームメンバーと考えている時間が一番好き」だと話してくれた。アウトプットにはこだわりつつも、その最終地点よりも過程を楽しめる、というのは、チームが良い関係性であり、プロジェクトが自分ごととして感じられている証拠なのかもしれない

プロジェクトが進んでいく中で、お客さんや受け取り手に対しての想像力を働かせる、ということも「リアル」を追求する姿勢のひとつだ。

── 新しいNo.には、小さなブックストアができました。そのディスプレイデザインを、昔から付き合いのある村山圭くんにお願いしたのですが、そのとき「No.で本を売るということにどういう意味があるのか、お客さんがどういう体験をするのか、ということに対しての解像度が粗くない?」と言われたんです。「そこを詰められてないのは301っぽくない」と。選書の方針や、本屋とはどうあればいいかという大上段の話はそれまで考えていたんですが、確かに、「多様な人がNo.を訪れる中で、誰がどういうことを思いながら本を手にとって、その体験がその人にどう受け取られるのか」という明確な視点が欠けていたんです。

そのプロダクトや体験を、人はどうそれを知り、手に取ったり足を運んだりし、どう体感し、どういう気持ちになり、どうやって人に伝えるのか。それに関わる人の気持ちや時間の流れをクリアに想像できたとき、それは「リアル」なプロジェクトになるのだろう。

「はたらく」に隠された関係性の哲学

最近読んだ本に、「働くことを運動と考えてみる」ということが書いてあり、それを起点に「働く」ことについて考えてみた。「仕事」という意味ではなく「はたらき」という意味で捉え直すと、確かにそれには「生命維持のための活動」という意味もある。健やかに生きるためには「はたらき」が必要で、「働くこと」もその運動としての営みだと思うと、それはエネルギッシュに生きるための装置の一つなのだと気づく

「仕事だからやる」ではなく、「つくりたいからやる」という意味づけから駆動する「はたらき」は自分自身を循環させ、フレッシュに保ち続けるエネルギーになり、さらにはそのエネルギーが波動のように伝わっていき、人生を豊かにする関係性を生み出すものなのではないか。そんなことを上村さんに話したとき、彼は新たな視点をくれた。

── 「働く」という言葉を考えると、そこには「はたらきかける」対象がありますよね。「生かす」という言葉に近くて、英語の「work」はそのニュアンスを持っています。「はたらきかけたい」対象があって、だからワークしてそこからエネルギーが生まれる。
301の仕事ではそういう循環が起きている気がします。出会ってしまった人に対して、「この人は魅力的だからもっと話を引き出したい、もっとこうなったらいいのに」と、はたらきかけたいと思う。そういう人との出会いがすごく多いんです。依頼する側もされる側も「はたらきかける」関係性になっていく、その相互関係が301で「働く」ことの醍醐味かもしれません

「なぜつくるのか」から見える、301の「どうつくるのか」

301のメンバーに「なぜつくるのか?」を問いかけて見えた、「どうつくるのか」という思想と方法論。それは本当にやりたいことなのか。つくりたいものなのか。「リアル」を追求していくやり方は、一般的な仕事の進め方とは違う。だからこそここに関わる人はやりがいを感じると同時に、難しさに直面することもありそうだ。後編では、301で働く人たちの率直な意見を聞くとともに、現在採用中のポジションについても紹介する

後編「つくり続ける。考え続ける。301/No.で働くということ」へ続く


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