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外出自粛の週末にやったこと、考えたこと

先日届いたペーパーベッドが、あまりにも使い勝手が良く、1LDKの部屋なのに生活のほとんどをベッドの上で過ごしている。勝手にすみっコぐらし状態だ。

どちらかと言えばベッドより、付属のマットレスが自分にピッタリとあっている感じがする。肌に触れる面は低反発で、反対側は比較的硬い素材になっていて、それが安定感を与えてくれる。今のところ、いい買い物をしたと思う。

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外出自粛が続くこの週末も、基本的には外に出ず自宅で過ごした。とは言え、一日中ずっと家にいると気分も沈みがちなので、最低限の外出として妻とともに近所を散歩。今日は、駅前のスイーツショップでタルトを買ってみた。

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妻は満足そうだった。

時間のあるときだから、考えたいこと

週末は結構な時間があったので、前々から読もうと思っていたミヒャエル・エンデの「モモ」を読んでみた。

この小説は、「灰色の男」という時間どろぼうに時間を盗まれる人たちと、それを取り戻す少女の物語。児童書籍という位置づけだが、長編小説なみボリュームで読み応えがあった。

この物語を通じて、筆者ミヒャエル・エンデが伝えたかったことは何なのかを考えてみた。いろんな意見があるだろうが、僕は「コスパ至上主義の危険性」ではないか、と思う。

物語の中で、灰色の男たちに時間を奪われた人たちは、軒並み「時間を節約する」行動にでる。例えば、これまでゆっくりとお客さんと対面していた理髪師は、一言も客と会話せず、最速で髪を切ることで作業時間を短縮しようとする。

そういった行動がどんどんエスカレートし、人々は短時間で成果を出すことに追われ、誰かと会話する余裕をなくし、街の風景はどんどん画一的になっていく。効率的に働くことで、大人たちはこれまで以上の収入を得て社会的には成功する。だけど、いつも仕事のことばかり考え、子どもたちには高性能なおもちゃを与える代わりに、関わることを放棄する。

果たしてそれが「幸せ」なのだろうか、というのが、筆者の投げかけた問いだったのではないだろうか。

仕事や生き方において、生産性やコスパの概念はたしかに重要だ。だけど、そもそも仕事を通じて「どんな価値を提供したいか」、生き方として「どうありたいか」がまずあるべきで、その上で「自分の時間をどう使うか」を考えないといけない。

そのことが欠落したまま「生産性を上げる」ということだけを進めると、手段から目的に変わってしまう。その危険性を指摘しているのかな、と。

そして、もっと言えば、周りが良いと言っているものや考えを、そのまま鵜呑みにして身を任せてしまうことへの警鐘なのかもしれない。

タイミングが良いのか悪いのかは別にして、新型コロナウイルスの影響で時間ができた今だからこそ、本書をきっかけに「自分の時間をどう使いたいか」ということをじっくり考えたいと思った。

妻とのキャッチボール

最近、自宅で暇になった時間に、妻とキャッチボールするようになった。少しでも運動不足の解消になれば、という建前だ。ボールは、手のひら大のキイロイトリのぬいぐるみ。リラックマが好きで、以前買ったキイロイトリのぬいぐるみがこんなところで役に立つとは…笑

やってみて気づいたのだけど、妻はキャッチボールが上手い。特にボールをちゃんとキャッチできるのが失礼だけど意外だった。そう言えば、「高校までは結構スポーツに力を入れていた」と言ってたっけ。

妻と一緒に暮らし始めてやっと半月。これまでも一緒に過ごした時間はあったけど、一緒に暮らすとこれまで見えていなかった部分が見えてくる。それはきっと、向こうからすれば僕も同じだろう。

仕事でもプライベートでも、人との関わりはすべてキャッチボールだと思う。こちらがボールを投げ、相手が受けとり、また投げ返す。基本はこの繰り返しだ。取りやすいボールもあれば、全然取れないようなボールもある。剛速球もあれば、山なりの軌道もある。大事なことは、相手のことを考えて投げることだと思う。「今、相手にどんなボールが必要なのか」を自分なりに考え、ベストなボールを投げること。そういうことができる人は、仕事でも人間関係でも、相手から必要とされる存在になっていくのではないだろうか。

ひょっとしたら、妻が上手くボールをキャッチできたのは僕の投げる球が良かったのかもしれないな…

そんなことを考えていたら、妻からキイロイトリが投げられてきた。今日のNoteはここまでにして、妻とキャッチボールしよう。

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