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きょうだい児

私はきょうだい児です。

きょうだい児とは、難病や障害を持つ兄弟がいる子のことで、
私の場合、弟が小児がんを患っていました。

弟の病気が発覚した時、私は小学校1年生に入ったばかりの6歳でした。

さきほど、この動画を見ていて、子供の頃の自分や家族のことを思い出しました。

きょうだい児であったことで、大変なこともいっぱいあったけど、
それよりも、
「親を心配させないように」
という気持ちの方が強かったな〜なんて思い出しました。

私は当時6歳だったので、
毎日何かしらの新しいものに出会う時期でした。
なので、弟のガンが発覚したときは、
「あぁ、弟っていうものは、ガンになるものなんだな」
みたいな捉え方をして受け入れてました。

しかし、親たちは、
これまでの20〜30年間の人生の中で、
ガンになった親戚もおらず、
自分自身が健常者として生きてきて、
健常者の家族のなかで生活してきたので、
「まさか自分の子が」
という思いも強かったと思います。
相当ショックだったと思います。

たぶん、親より子の方が強いんじゃないかな、とも思います。

弟が入院していた3ヶ月の間、
私は学校が終わると、
母に連れられて毎日小児センターに面会に行ってました。
小児センターには、きょうだい児のための学童のようなところも用意されていたのですが、
母がその存在を知らなかったため、
私は受付ロビーで一人で待たされる日々を送っていました。
(面会の子供は小児病棟に入れません。)


小1の子がひらがなドリルをロビーで一人で解いてるってのは、
今の自分が見たら泣いてしまうようなせつない光景だけれど
当時の自分は何とも思っていなかったですね。
親戚の人からは
「かわいそうだ」
と言われるようなこともありましたが、自分はそんな風に思っていなくて
「母が傷つくようなことを言わないでほしい」
とだけ思っていた記憶があります。

ちなみに父方の親戚も母方の親戚も、
「うちの血筋にそんな病気のやつはいない」
と言い合いになり、そこから親戚の縁がブツっと切れました。
なので私は祖父母に会った記憶がありません。

毎日受付ロビーにいると、
救急車が物凄い勢いで到着する場面によく出会いました。
救急車からは、かなり小さいサイズの赤ちゃんが入ったケースが出てきて、
そのケースを大人たちが全力疾走で、運んでいました。

あと、お子さんを亡くされたご家族に会うこともありました。
大人の女性が
「わー!!!」
と病院の廊下の真ん中で泣き叫んでいたり、
周囲の人に襲い掛かろうとしていることもありました。

でも、それを見ても、みんな顔をそむけて、止めようとする人はいませんでした。
みんな「明日は我が身」というような心境で、そのお母さんを見ていたように思います。

当時の両親は本当にギリギリの精神で生きていたんじゃないかと思います。

私は、親に甘えたいという感情よりも
「自分はしっかりしないとダメだ」
という感情で過ごしていました。

小学校1年生の記憶は、病院のロビーでの記憶しか残っていません。

弟は、奇跡的にガンが転移しておらず、
無事ではないですがどうにか退院し、今も生きてます。

難病は色んな形で一生つきまとうことになるので、しんどいですね、、、。

弟は今も、外見でかなりハンデを負っているので、色んな場面でしんどい思いをしていると思います。

今も、これからも、
小児がんや難病と闘ってく家族がいるんだよなあ、と思うと、
こっそり、応援したくなります。