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唖者

『累犯障碍者』(山本譲司著)を読みました。
読書感想文を書くのは子どものころから得意ではないですが、
色々思うことがあり、ここに書き散らします。
当事者の方が見たら不愉快に思う表現があるかもしれません。
その場合は、ストレートにコメントにクレームをつけてください。
以後改めます。

上記本の中には、罪を犯した障がい者のエピソードがたくさん出てきます。
まず前提として、この本の作者さんは、元議員さんで、横領罪で刑務所に収容された方です。
そのため、その刑務所に収容されていたときに見聞きしたエピソードや、受刑者の半生が生々しく描かれています。

前半は、
「放火をすれば再び刑務所に戻れる」と話す知的障がい者の方の話や
「男性とセックスするときだけ心が満たされる」という女性の知的障がい者
が掲載されていました。

前半は、主に知的障がい者に関するエピソードが多かったように思います。

後半は、聾者、聴覚障がい者のお話が多く掲載されていました。
この後半の章は、自分が全く知らない世界の話が掲載されており、衝撃を受けました。
読み終えた後も、ずっと頭の中をエピソードがグルグルと回っているような感覚が続いています。

特に衝撃だったのは、
”手話”が聴覚障がい者には通じない、というエピソードです。
以前、YouTubeで”日本手話”についての動画を見たことがあるのですが、(これ→https://youtu.be/FuHbYRsJhkY

この本の中で書かれている手話は、
聴者(耳が聞こえる人のこと)が作った”手話”(以下、「手話」とします。)を指しているようです。
この本の中で、受刑者さんたちは、
「聴者が作った手話は、我々(聾者)には通じない」
と話すエピソードが出てきます。
作中での作者さんは、
聾者には、聾者同士にしか伝わらない独特の言語、慣習、倫理観が存在するため、聴者が日本語の文法を手話に置き換えたものは、聾者には伝わらないのではないか、と分析されていました。

また、NHKで放送される手話ニュースも、聾者の受刑者は、
「木村晴美さん(という特定の手話通訳者)のときしか理解できない」
と話すエピソードもあり、大変驚きました。

さらに、聾者が通う学校では、
手話よりも”口話”の習得が優先される、
とも書かれていました。(2023年現在はわかりませんが、、、、
具体的には、聾学校(特別支援学校)において、
聾者は、聴者の口の動きを読み取る技術を身に付けることや、
聴者の発音を正確に言語を発音できるようになることを優先的に学ばされると本には書かれていました。
もちろん、聾者は自分の発音は聞こえません。
一体だれのための技術なのか・・・聴者が聾者に合わせるのではなく、聾者が聴者に合わせるための教育がなされていた時代があるようなのです。

今はそのような教育が変わっていると良いのですが、、、、
でも、例えば、その教育が30年前に行われていたとしたら
その時の生徒は今まだ40歳くらいなのかなと思うと、
何年前に行われていたとしても問題だと思うし、
今もその人は聴者とのコミュニケーションに苦しんているのかもしれないと思いました。

先ほどチラと名前を出した木村晴美さんは、両親が聾者で、ご自身も聾者の手話通訳者さんです。
(参照:http://www.rehab.go.jp/College/japanese/yousei/si/introduction/
そのため、ご家庭では聾者同士に通じる手話を用いてコミュニケーションを取られていたとのことですが、
学校に行くと口話が優先され、手話は手遊びのような扱いを受け、恥ずべきもののように言われたこともあったそうです。

ここまでは、福祉のなかで、手話を学ぶ機会が多少なりともあった方々のエピソードですが
この福祉の網目から落ちた聾者も世の中にはいると本の中で書かれていました。
つまり、口話も手話も学ぶ機会のなかった聾者が存在しているということです。
耳も聞こえないし、文字も読めない、手話通訳者ともコミュニケ―ションが取れない聾者が世の中には存在するのです。
つまり、唖者です。
唖者が生まれるケースとしては、親が障害(聴覚や知的)を持ち、その子も障害を持って生まれたため、福祉の存在すら知らず子が育っていってしまうようなパターンです。
そのような子が、学校にまともに通えないまま、お腹が空いたら物を盗む生活を続け、のちに受刑者となっていくケースがあるというのです。
『2円で刑務所、5億で執行猶予』という本もありますが、
被害額が低い窃盗であっても、窃盗の前科が4回目くらいから執行猶予がつかない実刑判決が下されることが多くなるようです。

しかし、ろくに教育も受けられない人が、警察での弁解録取や、
公判で何を話せるというのでしょうか?
本の中では、裁判官や検察官がいうことを手話通訳者が訳しても、聾者の被告人が意味を理解できないまま、手続きが進んでいくという場面も描かれています。

よく大きな事件が起こると、
「キチガイは刑事責任に問えないから無罪になる」
なんて噂が出てきますが、刑事責任に問えないケースにあてはまる被疑者・被告人というは、
一般人の想像を絶する、非常に限定された状態の人のみ該当するようです。
少なく見積もっても、知能指数40~程度ある人は、刑事責任があるとみなされ、刑務所に収容されていくことがほとんどのようです。

そのため、筆者は収容中、収容者が失禁した際の後処理を任されていたとも書いています。
つまり、そのようなレベルであっても刑事責任に問われているということです。

たとえ唖者であっても、刑事責任を負うことになります。

ここまで加害者側の話ばかり書いてましたが、
これは裏を返せば、被害者が唖者であった場合も、やはり同じ問題が起こると思うのです。
唖者の被害者が、警察での聴取で、きちんと自分の被害を伝えられるのでしょうか?
唖者の被害者は公判で、正確に状況やそのときの感情を伝えられるのでしょうか?

手話通訳者が誤訳をしたり、意味が伝わらないまま、手続きは進んでいってしまう可能性があるということです。

余談ですが、私は普段、YouTubeで”ダウン症はるちゃんねる”をよく見ているのですが
(これ→https://www.youtube.com/@86ka_downsydrome/featured
ダウン症でアラサーのはるちゃんは、非常に感情豊かで、自分の意思をしっかりと持っており、責任感も強く、他者を思いやる人の心があることが、
動画を見ているとよくわかります。
ただ、はるちゃんは、言語をきちんと発音ができないことも多いです。
動画の中で、ご家族がはるちゃんの障害の程度が”重度”であるとおっしゃっている回がありました。
これは、司法手続きにおいては、
「はるちゃんの発言は真実性に乏しい
と判断される可能性があることを意味します。
民事と刑事では違いはあるかもしれませんが、
障がい者の発言であることが有利に働くという場面を、私は想像できません。
もし、そういう判例があれば教えてほしいです。

つくづく、この世の中は、マジョリティによるマジョリティのための方法と施策しかとられていないのだなと、痛感させられました。
そして、私自身も健常マジョリティであったため、
てっきり手話をマスターすれば聾者と話せると勘違いしていました。
非常にショックでした。
自分の無知を恥じました。

自分が今後の人生で出来ることを模索し続けなければいけないと思いました。
どうにか、世の中の隅に追いやられ、存在自体なきものにされている人たちが輝ける場所を作っていきたいです。

おわり