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楽器を破壊すること

5月7日に配信されたAppleの発表会での映像がなかなかに物議を醸しています。

好意的に解釈すれば、「音楽に大事なのは道具では無い。もっと自由にクリエイティブを!」と言うメッセージとも受け取れますが、やはり楽器をプレスして粉々にすると言うのは気持ちの良いものではないですね。

ただ、楽器を破壊したり本来の使い方では無い扱いをすることへの是非については、結構考えるところがあります。

批判はあれど、ピアノを燃やしながら演奏したり、弦を異物で鳴らす奏法などはひとつの表現として昔から存在します。エレキギターを叩きつけて壊す行為は一定のパフォーマンスとして認められている節がありますし、壊す用のギター(壊した後再利用できる)も売られているくらいです。

もちろん意味なく傷つけることは楽器に限らず許されるべきではありません。ただ、今回の映像のように「表現としての破壊」は、たとえその楽器を作った(生み出した)人の思惑とは違っても、「演奏での表現」との違いはあるのだろうか?とも思います。

極端な話、ではどこまでだったら許されるのか。ピアノをペイントすることは?野外で使うことは?壊す用につくられたピアノだったら?自分の楽器でもダメ?と、「楽器のあるべき姿」のような話になっていきます。

そして今回プレスされるのが、多くの人にとっては古き悪しきものとされているファックスや印鑑、タバコだったらどう感じたんだろう?とも。もちろん今回の映像に対する反応は、クリエイティブを扱ってきたAppleが...と言う文脈があるのは重々承知ですが。

そもそも楽器を過度に神聖化しすぎる傾向があるのは事実だと思います。それによって本来の「道具である」ことから離れてしまう。そうなると、大事に磨いて弾かないでいることも破壊と同義とも言えるかもしれません。

とは言っても僕もリアルタイムで見たときはやはり「うっ...」と思ったので、誰もがハッピーになる映像では無いことは確かです。

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