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素直になるための“儀式”

最近色々なところで

『素直に生きる』

という言葉を聴く。



ふーむ、

素直に生きるって何なんだ、

と考えるわけだけど。




まず前提にあるのは、


「素直に生きることが怖い」


「僕らは嘘ばかりついている」


ということかなと思う。



自分含め、

素直に生きている人なんてほとんどみない。


上手に嘘と折り合いをつけて

上手に上手に生きている。



言い換えたら、

ある種いつもと変わらない日々では、

もはや自分の『素直』なんてわかるわけがない。




人生というか、

私という存在の面白いところは、

そんな「素直ではない日々」が続くと、


必ず“カオス”を生み出してくれる。



それは、



精神的な不調。


パートナーとの不仲。



急な大病。


不慮のキャリアチェンジ。


お金の心配。


アイデンティティの拡散。



みたいな形で。





こういう“カオス”であり、


“混乱”が生じると生体は、



必ずこれまでより精緻な『心地よさ』を探す。



だって、


これまでの「素直さ」が嘘だと、


簡単に教えてくれるぐらいに、


“カオスで混乱”は苦しいのだから。



「素直に見せかけた嘘」を取っ払って、


この苦しい“カオス”の中での


より深い『素直さであり、心地よさ』を


探す瞬間であり、日々。




“こういう時”は『私に還る機会』でしかない。


一番しんどい『機会』。



悩み、葛藤し、苦しむその瞬間たち。


誰に問うても答えはなく、

でも時にヒントは外から生まれ。



そしてまた、

孤独な夜空を見上げて涙を流し。





そういう“機会”を経て。



今までの「嘘」からミリ単位で、私を動かす。


少しでもずれるとまた「偽りの素直さという不快」


が簡単に顔を出す。




また夜空の下で涙し。





そこでまたミリ単位で私をさらに動かす。



そうやって身体を駆使して、その内実を心で捉える。




そうやって瞬間を営む私は、


いつか必ず『自分に素直』になっていく。


ならないはずがない。




一番憎くて、一番愛おしい“カオス”。




わたし(あなた)は


『素直である』ための


“儀式”を愛でられていますか?




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