見出し画像

母はニンゲンなのか?

おはようございます。

久しぶりに怒りで一睡もできなかった朝です。
昨日、最近はほとんど連絡を取ることのなくなっている母親からLINEが。

叔母が危篤で救命救急センターに運ばれた、と。

慌てて駆けつけると、意識のない中、たくさんの管に繋がれている叔母の姿…
脳出血のようで厳しいと。

叔母は自由気まま、悪く言えば何もできないお嬢さんで家計管理もめちゃくちゃ、だらしない人ですが、動物への愛情はここまでできないと言うほどで、何かが劣れば何かは秀でるを両極端に体現してる人です。

どんな時もマイペース、自分勝手とも言える生き方は母親とそっくりですが、鏡の法則、似すぎて2人はウマが合わない割にお互いの行動が気になって仕方なく何かにつけて一緒にいるのが常でした。

そんなお姉さんが命燃え尽きる寸前、
必死に頑張っているのに。

母親の中では「もう死んだ」となっているのです。
駆けつけた病院のコーヒーショップで彼女の子どもとも合流し、今後の話をとなり、私が長引く入院になったり、介護になったら…と言うと、

もって2、3日なんだからもう死んだと同じじゃないの!
葬儀とか、相続とかの話をしないとでしょ?と1ミリのためらいもなく言うのです。

まだ、生きている。
病と闘っている。

その姿を見て、生きて欲しいと願わずにはいられないのに…もう死んだってことでいいじゃん!なんて口にできるなんて…

母親はニンゲンの姿をしたアクマなのかも。
改めて恐ろしく感じました。


一年以上ぶりに会いましたが
もちろん私へのカラダの気遣いなんてあるはずもなく、病院は面倒だー、疲れたー、と文句ばかり。
そしてライバルのような姉が居なくなることを心なしか喜んでさえいる様子を見て…

ヒトって変わらない

そう諦めて帰宅したものの、夜になって
改めて母の放つ言葉を思い出し、怒りなのか恐ろしさなのか、悶々として眠れなかったです。

路上で倒れたので、発見して連絡してくれた方にもお礼の連絡をしたら
『どうぞご無事であるように』と見ず知らずでもそんな言葉をかけてくださるのに…

もう元気な姿を見ることは難しくても
最期まで、その時まで痛みなく、穏やかに過ごせるよう願う、今できることはそれだけです。

母とはもう心通うことは、絶対にないと思う出来事でした。

この気温差です。
皆さまもご自愛くださいませ🍀

サポートをしていただけた際は、収益は『ファシリティドッグ』へ送ります。 病院で長い時間を過ごす子どもたちが少しでも笑顔になれるように。