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たんぽぽ

気紛れに過ごす午後。

軒先で燻らす煙を吸っては吐き出す。

天気予報は それほど空の蒼さを示していなかったはず。

見上げた空は 白い絨毯の隙間から細やかな蒼を垣間見せていた。

まだ少しだけ冷たい潮風に乗ったたんぽぽの綿毛が吐き出した白煙と混じって 半袖のシャツから露わになった腕を刺激している。

肌に触れてはまた風が行き先を伝えることもなく飛び去っていく。

綿毛は地図を持たずとも 飛べるところまで飛んで 推進力を失えば その場所に根挿して 出発の季節を待つ。

自由と喪失は いつだってワンセットだ。

それは人も似て非なるもので。

大切にしたい。

出来ればこのまま依存していたいと。

あたすは それらを置き去りにして 心のタンスの取っ手を奥に押し込んだことがある。

心地良い日々を積み重ねることよりも 自分の底を知りたいと願った。

上手くいかなかった。

ゼロから むしろマイナスからの始まりから4年を費やした。

実際は命を繋げるのが精一杯で。

夢を見るだけで満身創痍。

不思議なほどに後悔は少ない。

現実や世間に振り回されながら こうしてまだ生きているだけで。

なかなか難しかったけれど 歌う時だけは声が枯れるまで命を賭して。

上手くいかなかった部分は あくまで世間や他人からの視点。

やれるだけやった。

あたすという綿毛は 花を咲かせられなかった。

風に舞っていただけ。

成功や失敗とか。

そこには そこまで重い価値を置いてなかった。

好きなことを誰かに披露したら どうなるんだろう?

それだけを試してみたかった。

どこまで突き詰めても 心の声を聴けるのは自分自身で自分次第だったりする。

否定せずに受け容れて認めてあげる。

その美しさが身に沁みる冒険だった。

それは このたんぽぽの綿毛達も似ているのかもしれないなんて感じ考えてた。

後先を考えずに飛べたなら。

人は考えて決められるだけ恵まれていて幸せだよな。

綿毛は季節になれば 断りもないままに空に放たれるわけだから。

潮風の機嫌次第。

天秤みたいに同じだけの分銅を置けないから 面白く楽しい。

思ったとおりにならないことを笑えるようになることが 受け容れることの証明。

あたすは子供を育てたことはないけれど。

幼かった姪っ子や甥っ子の面倒を見ていた時。

大変だなぁとしか思えなかった。

今はそこを1つ笑えるようになれた。

成長や気付きは個人差の塊。

成人式をしたから人に成ったとは 実感も無ければ違和感を感じるように。

それぞれの経験や感じ方で人に成っていけばいいだけ。

世間やニーズに合わせたり波に乗ることじゃない。

資金力や支配力が世界を動かしているように見えるなら それは欲望に視点が吸い込まれている。

人の身体は感情で動くことを忘れちゃいけないね。

人は所持してしまうと振り翳したくもなるし 欲望が坂を下るように肥大してしまう。

失ったり奪われたり。

その度に そんな姿を目撃したことも多々ある。

所持出来なくて感謝しているくらいだ。

依存するものが 大切な人の命と煙草と音楽だけで済んだ。

何かしらを所持してしまったら これまでを消して心の根幹をチェンソーで切り倒してしまったかもしれない。

とはいえ たんぽぽの綿毛のように飛び立つことを恐れてたら 楽しくないよ。

ここまでマジメっぽく書いてみたけど 人生は楽しんでこそ。

笑ってたら誰かも笑ってた。

そこに終着点は落ち着くのかもしれないね。

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