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信じている

難しい。言い尽くせない。私の力ではとても。どんな言葉を選んでも見合わない気がして、打っては消してを繰り返して今日に至るけど、4月、もう半分終わるんだなあ。

運命の人はいない。たった一人との出会いによって人生丸ごと書き換わるなんてあり得ない。昔はそういう衝撃を強く欲していたけど、誰かに縋ることで、大丈夫じゃない自分を救ってほしかっただけ。早く大丈夫になりたいのに、自力で立っていられないから、恋人に寄りかかって、全部を埋めようとしていただけ。自分自身から目を背けていただけ。今じゃすっかり逞しくなり、自分のこと自分で抱き締めてあげられるようになった。自分が一番言ってほしい言葉は自分で言ってあげられるようになった。恋愛は必要なくなったけど、一人で生きるってことは、一人で死んでいくってことだから、それはやっぱりさみしくて、私は誰かと一緒に生きたくて。そんなに簡単じゃない、そんな浅瀬にはいないって、嫌というほど分かっていたから、誰と付き合ったって所詮は一番そばにいる他人で、人と生きることを選ぶ限り、私の孤独は続くものと納得していた。そういうものだと思っていた。

初めて話した時、「誰かと付き合っても、一緒にいてさみしいのは嫌で」と電話越しに聞いて、ほんとうの「さみしい」を知っている人なんだなと思った。それを正直に伝えられる人なんだなと思った。私が手放したものをこの人は諦めていないんだなって思った。一緒にいてさみしいのって当たり前で、それ以外は存在しないと思ってた。だって他人じゃん。すぐそばにいるのに、一番分かってほしいし分かってあげたいのに、絶対に理解しあえないんだもん、言葉も通じないんだもん、一人でいるよりさみしいに決まってるのに。普段だったら、あーこの人は人と人とのことまだよく知らないんだな、とか、上に立った気になって相手のこと測ってしまうけど、素直に、すごいな、ってこの時は思った。

電話の翌日に初めて会って、ああこの人だったんだなって、私にはすぐに分かった。3年近く通った美容院をなんとなくやめて、首が見えるほどバッサリと髪を切った三日後だった。

あれから2週間経つけど、どうしてこの出会いがこんなにも特別なのか、未だに上手く言い表せない。当人同士の間で実感として分かっているからむりに言語化する必要もないんだけど、でもやっぱり私は思いを相手に伝えたくて。彼の言葉を借りると、「余すことなく」伝えていたくて。初めて会った日に、今まで苦悩してきたこと全部に意味があったなって思ったんだよ。彼は、最初からずっと私という人間を見てくれていた。初めてちゃんと視線が合っている感じがするんだよ。分かりあえる人がそばにいるのってこんなに心地よいことだって知らなかった。私が私でよかったって心から思った。同じくらい、彼が彼でいてくれてよかったって思った。ハグの仕方も分からなくなって、川本真琴のDNA聴きたくなった。

関係性って、過ごした時間の長さで決まるんじゃないよね。どれだけ良い時間を過ごせているかで決まるよね。彼といると、そういう当たり前のこと、忘れてしまった大切なこと、思い出せる。尊敬している。

2024.3.31(日)
18時頃帰ってきたのに、23時過ぎの今まで脳が興奮して思考が止まらない、ぼうっとしている。今日眠れるかなあ。
この人だったのかと納得がいった。こんなことあるんだ。なんか信じられない。確信はあったのだ。今年出会うと。自分自身の状態がとてもいいから、よい出会いがあるとしたら今だろうなと。分かってはいたけど、ほんとうに出会うとは。出会いって不思議だ。今日初めて会ったのに、この人との出会いは私にとって特別なものになると分かる。
同時に、とても怖い。人と生きること。傷つくこと。傷つけること。知らない自分に出会うこと。大丈夫かな。全然別の人間だってこと忘れたくない。虚像じゃなくて、目の前にいるその人と向き合いたい。

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