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波のない海

冬の寒さは堪える。憂鬱に足元を掬われやすくなる。身体を冷やすのがよくないのか、日が短いのがよくないのか。冬ってやけに無音が際立つ。空気が乾燥していたり、気温が低かったりすると、音の伝わり方って変わったりするんだろうか。家までの帰り道、冷気に包まれて、自分だけが世界から切り離されたような感覚になる。静けさが刺さって痛い。

話したいと思うことがあっても誰にでも話せるタイプじゃない。今日すっごい誰かに話したいと思ったことを、誰にも言うことなく1日を終える日だってままある。口を噤んだまま家に帰り、テレビ見て笑うか、鼻歌くらいでしか声を発さず、静かに夕食をとり、元気があればシャワーを浴びて、布団に入る。脳のキャパシティに対してむだに思考量が多く、言葉にして体の外に排出することで発散している私にとって、話し相手がいないというのはずいぶん不健康的だと思う。そしてまた、一人の時間が多いからこそ思考が増え、咀嚼しきれず、消化不良になる。外に出したかったものが吐き出せずに喉のあたりに詰まっていく。
最近じゃ、友達と会っても、職場でも、本当に一人の家に帰るのはほとんど私くらいになってしまった。みんなは人のいる家に帰っても、私は一人の家に帰る。家族もそばにいない。10年以上そうやって暮らしている。今までまあまあ平気だったのは、一人の人がもう少しいたからだ。それに、当時の私は、恋愛に盲目的にのめり込める若さがあって、自分を大切にしなくても生活を回せていた。

生き急いで、焦って恋愛していた時には、自分のこともよく見えていなかったように思う。さみしさと自己否定は常にセットだった。今少しも焦りがないのは、自分を幸せにできているからだろう。その分、自分で自分にしてあげられないことが以前より浮き彫りになって、ただ実直に、波のない心で、さみしいと感じるようになった。婚活紛いのことを散々やってみては、「"結婚が"したい人」と対峙することに嫌気が差してやめるのを繰り返してきたけれど、今本当の意味で結婚がしたいと思えているのかもしれない。この気持ちを覚えておきたい。きっと1年もすれば、今のままのものではなくなる。少なからず形を変える。

noteがあって本当に良かった。これはやっぱり趣味じゃない。私は本当のところ、何にも考えずにいられる時間を、一番に大切に思っている。考え事したいわけじゃないし、文章を書くのが好きだからnoteを続けているわけじゃない。許容量を超えないように、健やかに暮らせるように、自分の消化を助けて、調節しているだけ。その手段がたまたまnoteだっただけ。4年分、180本書いた記事の中から、忘れたくないものを選んで、一冊の本にまとめようと思っている。昔の自分と向き合うのってなかなかヘビーな作業だけど、来年の誕生日を迎える頃には完成するといいなあ。

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