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オープニング

初めてマッチングアプリに登録したのは24歳の夏だった。今の年齢と比べると遥か昔のようにも感じるし、あれがたったの5年前だなんて意外と最近だなとも思う。その日のことはよく覚えている。外まで並ぶほど人気の親子丼。週末のランチのピーク。店内は狭く、席数も少ない。食べ終わってもマシンガントークを続ける彼と、そこへ同席している私は、食べ終わったなら早く店を出なさいと常連の男性に注意された。恥ずかしくて仕方がなかったが、解散せずそのまま茶をしばくことに。彼はこういったシチュエーションに不慣れなのか手元が落ち着かず、ストローの袋を粉々になるまで破いていた。木っ端微塵だ。好きな漫画は何かとしつこく聞くので、仕方なく一番好きで大切にしている作品のタイトルを教えた。その作品を知った小学生当時、古本屋にもなかなかなくて、時間をかけて全巻集めたのだとも伝えた。その話を聞き終わってすぐに彼は、私の目の前でスマホを操作して、Amazonでその漫画の全巻セットをポチった。人に勧められたものは全て読むようにしているのだと彼は自慢げに言ったが、私がいつ勧めたというんだ。嫌々吐かされたんじゃないか。今日初めて会って、特別に価値観が合うわけでも、趣向が似ているわけでもない人間が好いてるものに、何の迷いもなく金を出す。その考え方がまったく理解できない。むり。精神的な衛生観念において、むり。家に帰るまでの間にアプリを退会し、削除した。

その後もアプリでは色々あった。マッチングすりゃカウンセラーにされたり、ネトストされたり、「話」がちゃんとできる人に限って異性としてナシな人ばっかりだったり、告白を断ったら逆ギレされたり、めちゃくちゃ思いやりのある人と付き合ってもどうしても手を繋ぎたいと思えなくて一瞬でダメになったり、これでもまだまだ22分の5くらい。本当に色々。

私は鬼の記録魔で、22人分全員の記録がiPhoneのメモ帳に残されている。やったりやめたりアプリ関係ないとこで彼氏できて別れてまた始めてやめてを繰り返す中で、上手くいかないのにずっと同じことをやり続けるというのは無駄がありすぎるので、どんなクソみたいな経験でも1ミリでも次に活かしたくて、失敗も反省も学びもすべてその後の戦略に反映し、試行錯誤を重ねに重ね、何度も絶望した。最近はまったく焦りがなく、日々が楽しいので、アプリも全然やってなくて、すっきりと明るい気持ちで暮らしていたけど、それでも出会いは欲しくて、時々アプリをやると、やはり嫌な気持ちにしかならなかった。

しかし、昨夜、アプリやっていてよかったと初めて思える出来事があった。
まだ何も起こっていない、何というほどのことではないのだけれど、私の長い長いトライアンドエラーの成果が初めて出たのだと思った。素直に嬉しかった。ひとつ報われた瞬間だった。ほんと、仕事みたい。変なの。でも、本当に嬉しかった。ちょっと泣けるくらい。ただぼーっとアプリやって文句言ってたわけではない。ずっと手を替え品を替え学習し、行動してきた。たまたまじゃない。これは明らかに私の成果だ。私の手で成し遂げたことだ。

やっぱり言葉は、私の言葉は、私を守り生かすためにあるのだなと思った。諦めなくてよかった。

今日は私の東京11周年記念日である。

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