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ゴジラ-1.0(2回目)を観てきたので【ネタバレ有り感想】

1回目視聴時(4DX)の感想はこちら

私の大好きな椎名林檎氏のライブ(椎名林檎と彼奴等と知る諸行無常)が映画館で観れるというので行ったついでにゴジラ-1.0の2回目視聴をしてまいりました。今回は4DXでもIMAXでもない普通のやつです。
1回目でよくわかってなかった部分で2回目でわかったことなどについて。

ゴジラやっぱり大きくなってた

前回は漠然と大戸島襲撃と銀座襲撃とではかなり大きくなってるよなー?と思ってただけだったけど、間のクロスロード作戦で実際に攻撃→再生を経て成長(進化?)してたことがわかりました。
敷島もあの時の個体なら(時間の経過から)凶暴性も体格も増してるはずと言及していました。

ラストシーンについて

典子の首に黒いあざが浮かぶ場面がありました。
放射能の影響かゴジラ細胞かという説があるみたいですが、銀座で黒い雨を浴びた敷島にそういう描写はなかったし、どちらかといえばゴジラ細胞なのでしょう。
あの爆風に巻き込まれてあのレベルのケガで済んでる時点で人間離れしてる感じもします。
吹き飛んでうまいこと物陰にはまったとかだったらあり得る?

いったん二人は再開できたし結婚して家族になるんでしょうが、敷島は黒い雨を浴びてるから健康問題を抱えそうだし、典子はその後どうなるのかを考えると、プラスになった状況から一変してマイナスになる未来が待ってるのかと思うとしんどいですが、なるべく3人の平穏な時間が永く続くといいね、と思うばかりです。

敷島と典子の関係性について

将棋棋士の佐藤天彦九段が先日ご自身配信のスペースにて、観に行った感想として敷島が典子に甘えすぎなのでは?あれでいいのだろうか?のようなお話をされていました。

男性視点ではそういう感想になるのかー(その発想はなかった)とかなり新鮮に感じました。

関係性で言えばギブ&テイクの関係だし、きっかけはあんなだけど一緒にいることで情も湧いたから苦しみを一緒に背負いたいと言ってくれた典子に、自分の弱さみじめさ情けなさを含め打ち明けて葛藤をさらけ出すことは、自分も典子と同じ気持ちであることの表明でもあるのかなと思います。

女性目線では打ち明けてくれたことは一人で抱えられるより喜ばしいことだと感じるのですが、九州男児目線では抵抗感があったようです。

男子たるものおなごに泣き言を云うなど、的なお侍さんの時代からの誇り高くあろうとする矜持も、ジェンダーフリーが叫ばれる昨今にあってもなお素敵なものに映ります、が、そのような考え方もある意味宗教のように自分がよりよく生きるためのツールだと捉えたら、自分を縛り苦しめるものである場合はなんていうか…まぁ今日は許して、くらいの緩さというか余白をもって生きてもいいんじゃないでしょうか。

一回目視聴時の感想には特攻に関する価値観の変遷を書きましたが、家族のありようや男女のありようも今昔の価値観をふんわりとすり合わせたような印象でした。

おわりに

諸行無常
万物は流転する

その後の敷島と典子と明子の3人がどれくらい「家族」の形を保つことができるのかわかりませんが、この先放射能やゴジラ細胞の影響がどうであったとして、3人が3人ともおそらく「家族」でありたいと強く願ったこと、そして一瞬でもおそらくその願いは叶ったこと、それこそが尊く価値のある事だと思う次第です。


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