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Listening is loving.

「しあわせはどこにある」

仕事がうまくいかなくて、彼氏との関係性も自分の中でうまくいってなくて、むしゃくしゃしながら心の安らぎを求めて観た映画。

事前情報は何もなかったけど、映画のタイトルからみて、オーソドックスな幸せについて説いてくる映画だと思っていた。安っぽくてもちょっとでも穏やかな気持ちになれれば万々歳だった。

金持ちな銀行員との出会いから始まり、怪しげな傾国美女、悟りを開いた僧侶、温かい家族を持った母親、ゲイをカミングアウトした友達、救い救われたギャング、元カノ、研究者などなど、すべての登場人物が違う形の幸せを持っているのをみて、一括りに言えないのが幸せであり、幸せを追い求めることや不幸を避け続けることが幸せではない、そんなことを教えてくれた映画だった。意外な収穫だった。

私の中で大きな印象を得たことがもう一点。
主題となる「幸せ」よりも「聞く」ことについての方が学びが深かった。

死期を悟った女性から、生死を救った夢の話を聞き、「あれが最後なのね」と問われるシーン。

最初の主人公だったら「君にとって最後とはなんだい」だの「君はどう思う」だの、質問に質問で返してはぐらかしていたはずだろう。

ところが彼は彼女の気持ちを慮ったのか、最後であると断言した。

細かく観ていなかったので、間違っているかもしれないが、おそらく主人公が患者からの質問にはっきりと答えたのは、あのシーンが初めてだった。

患者の話を耳半分で聞き、自分のことや相手のことについての名言を避けてきた彼だからこそ、その後に患者から出た「聞くことは愛よ」という言葉に気づきを得て、泣いたんではないだろうか。

かく言う私もそのセリフに涙した1人である。

昔私は人の話を聞いて、相手の気持ちに寄り添い、幸せを分かち合うことに喜びを感じていた。

ところが社会人になってから社会と上司に揉まれ、自分のことでいっぱいいっぱいになり、他人の幸せなんてどうでも良くなってしまった。

仕事の進捗・成果・自分の功績に拘るばかりで、相手の心情や言葉に目を向けることがなくなった。

「話を聞いて思いやる」ことに意味を見出せなくなっていた。

そんな時に先の言葉を聞いて、愛を見失ってしまっていたことに気づき、やるせなさや虚しさを感じて泣いてしまった。

いつからこんなに疲れてしまったのだろう。

いつからこんなに人を愛せなくなったのだろう。

これからの私が、家族や恋人、仕事仲間や友達へ深い愛を持って接することができますように。

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