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【美術ブックリスト】『ヴェネチア・ビエンナーレと日本』国際交流基金 (企画・原案), 三上 豊 ほか (編集)

ヴェネチア・ビエンナーレ美術展の日本公式参加70周年を記念して、過去の展示の記録を詳細にまとめたのが本書。現在開催中の2022年展のダムタイプの展示内容を冒頭に、年代を遡る形で1952年までを網羅する。
出品された作品画像、展示風景、出展作家の略歴とコメント、コミッショナーの報告、当時の展示評などで構成されている。
ここまでが概要。

ここからが感想。
試しに古い方から読んでみた。
日本初出展となった1952年の第26回展には、梅原龍三郎、安井曽太郎、鏑木清方、福沢一郎といった洋画、日本画、前衛美術の12作家の作品を展示したが、これが全くといっていいほど印象を残さなかった。

1954年には坂本繁二郎と岡本太郎の2名に絞って10点ずつ展示している。これについて評論家で代表の土方定一は「多くの作家が尊敬をもって見に来てくれた」と雑誌(藝術新潮)に語っているが、一方で吉田遠志は批判的で「日本の画家は日本の中でだけ大家でありすぎる」と別の雑誌(美術手帖)に語っている。スチュワート・プレストンはニューヨーク・タイムズに「日本の岡本太郎は自国の芸術を捨てて、見るものを憂鬱にするような、ピカソとシュルレアリスムとの融合を生み出している」と肯定とも否定ともつかないコメントを寄せている。
この年まで日本の専用展示館ではなく、場所を借りて一室で展示していたので、日本館の建設が悲願となっていた。

1956年の第28回展の際にようやく日本館が建設された。これには日本政府の予算300万円に、石橋正二郎の寄付を足して2100万円で建設したとある。つまりほとんどが民間の会社社長によって建てられたわけで、日本の美術人はこの貢献を忘れてはならない。このとき版画部門で棟方志功が国際大賞を受賞したが、これには多分にパビリオン建設が影響していると言われる。

正直、当事者の言葉よりも、新聞や雑誌から抜粋した日本館の展示への言及が面白い。
賛否両論あり、問題提起もある。年によってはそうした展示評がないこともあり、拾えなかったのか言及がなかったのか意図して掲載していないのか不明だが、なにか欲しかった。

ところで「美術手帖」のビエンナーレ評が70年前から変わらずほぼほぼ批判的なのが確認できて面白かった。

325ページ B5判 2,970円 平凡社


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