最近の記事

私がnoteを書く理由

私がnoteを書く理由は決まっている。 私が私を肯定するためにそしてこの世の中と折り合いをつけて生きるために書いている。 自分の正当性を主張したくなる文章を書きたくなるときもあるが、なるべくそれはしないようにしている。 自分の正当性を主張する文章は、攻撃性が出やすく人を傷つけるリスクがあると思うからだ。 人の為に書いているかと言われると自分のために書いている。それがたまたま人の励みになるようなものであれば幸いだ。 私は頭が硬いので、柔軟な考えができなくなる。それを自覚

    • 人はなぜ病気になるまで働くのか?

      私は激務に追われ突然仕事に来れなくなってしまった人や復帰したがまた休んでしまう人、ドクターストップが出るまで働き続けてしまう人達を知っている。 その人たちは全員真面目な人たちであった。全員に自分としての軸があったように思うが、断ることが苦手であったように感じる。 なぜ心を病んでまで働かなければいけないのか?をこれから自分なりに考えてみる。 心を病むというのは、その前に体調に変化が現れるものである。食欲の減少増加が顕著に出たり、睡眠の変化等にも出てくる。 しんどいという感

      • 40代特有のパワハラ気質

        今40代の世代には、努力すれば何とかなるとか努力が足りないとか熱血指導、強く言われるのは当たり前みたいなマインドが残っているような気がする。 40代の人たちが上の世代に受けてきた教育の形なのであろう。しかし現代は違う。 人間性の話と目の前で起こっている事実は切り離して指摘しなければならない。 それができなければパワハラの時代なのである。 昔は「使えねーな」とか「どんくさいな」とかいう言葉が当たり前のように職場で飛びかっていたのかもしれない。 何故一昔前には使われていた言

        • 私が苦手な人

          私には苦手な人がいる。 自分の自慢や自分の話ばかりをしたり、他人の間違いを徹底的に指摘する人間である。 こういう人間は、自分の視点でしか話ができない。他人には興味がない人間である。 こういう人と会話してると自分が話を聞く道具にされているように感じる。 相手に自分ばかり話しすぎたという反省はないようだ。いつだって自分が主体である。 平気で人の会話を食べ、自分の話題にすり替える。人の手柄も自分の手柄のように無意識に奪い取る。 この人は、今までどうやって育ってきたのだろうか。

        私がnoteを書く理由

          離れてみないと物事はよく見えない

          27歳になって初めて分かったことがある。 それは、離れてみないと物事はよく見えないということである。 私は学生時代部活は運動部であり、仕事もリハビリをする仕事をしており身体を使う仕事をしてきた。困っている患者さんの助けになることにやりがいを感じていた。 しかし、リハビリ以外の業務や負担が多くなり一度リハビリの仕事から離れてみたいと思うようになった。 挑戦の意味合いも込めて、IT方向の企業に就職した。就職するまでにjavasilverという資格や基本情報技術者試験という試

          離れてみないと物事はよく見えない

          人は幸せになるようには設計されていない。

          最近「ストレス脳」という本を読んだ。 物質的に満たされた現代において何故多くの人が精神的な病気にかかり心療内科へ通うことになっているのか?という問いに対して筆者の見解を述べていた。 簡潔に話すと、先祖が不安になることを利用して生き延びてきた名残で必要以上に私達は不安を感じるということである。 詳しく話すと人類は、狩猟時代が長く続き稲作文化ができコメを貯蔵し安定して作物を育て飢餓にある程度の苦しまなくなるまでには膨大な時間を要したということをまず押さえて欲しい。 生き延び

          人は幸せになるようには設計されていない。

          砂漠の真ん中で泣いてるんだろう。

          ここは砂漠、オアシスはどこだ。目視できる場所には見当たらない。 涙を流してみたら、心の傷は癒えるのか。 一滴も無駄にできない水分それでも流れた。 必要なものは分かっている。夜を越える温もり、物理的なものだけじゃない目には見えない温かさ。 食料はある。着るものもある。家もある。 だが休まる場所はないのだろうか、贅沢病が蔓延る世間は自分のことばかり考える。 景色は歩いても同じ、季節は巡るのに。 心を満たす水は何なのだろうか。 ふと考える。 ここは砂漠。1人佇む。 不思議と

          砂漠の真ん中で泣いてるんだろう。

          ぼちぼちいこか。

          最近の私の口癖だ。 割と自分に言い聞かせている気がする。 元々感情のコントロールは苦手で、すぐに表情に出るタイプであったが、後天的になりたい自分になれるように努力してきたおかげもあって、落ち着いた口調や物腰の柔らかさを人に言われるようになった。 だって 落ち着いた大人ってかっこいいじゃん。 でも最近思う。我慢して落ち着いている風を装っているのって落ち着いてないよねって。 それって感情を抑え込んでるだけじゃんって思うようになった。 そういう大人が多いし、そういう人が我

          ぼちぼちいこか。

          楽に生きていい。

          楽に生きれたらとっくにそうしてるわ! と怒られるかもしれない。 では、何故楽に生きることができないのだろうか。 その原因は人間関係が殆どであろう。 つまるところ自分がどう思われているか? ということや、自分の社会的立ち位置を保持するために日々人間関係を気にしているということの窮屈さが楽に生きることのできない原因のひとつなのかもしれない。 まず考えなければならないのは、この人間関係の悩みというのは、衣食住がある程度の保証されている上に成り立っている高次の悩みであるということ

          楽に生きていい。

          自分と生きていく。

          日常は本当に色々ある。  腹が立つこと、納得できないこと、不安なこと。  いつも心が穏やかにいたいとは思うが、現実問題それは難しい。 昔は自分に腹が立たないようにしよう、不安にならないようにしようと自分に言い聞かせていた。つまりは無理矢理に感情を押さえつけていた。ということだ。 感情を押さえつけると一時的には、その場を何とかやり過ごすことができる。しかし、ふとした時に押さえつけた感情が表に出てくる。 過去に押さえつけた感情というのは、どこかで振り返りその感情と向き合わなけれ

          自分と生きていく。

          希死念慮との向き合い方

          若者の4割は死にたいと本気で考える希死念慮を持った経験があるという。 その半分ほどは誰にも相談したことがないという。 これだけ多く希死念慮を持つ人間がいるのに、そのような感情は人には話さないのだ。 話してはいけないと思っているのか、そのようなことを話す相手がいないのか、話すまでもないのか。 人間関係がうまくいかず悩み、人には相談できない。あの人に自分はどう思われているのか、嫌われてはいないだろうかと考える。 相談相手がいれば、自分の気持ちも整理できるが相談相手が必ずし

          希死念慮との向き合い方

          又吉の話

          どこかでの又吉の演説?みたいなものをYouTubeでみたことがある。 吉本の養成所での話をしていた。 同期入団した人たちは時間が経つとともにどんどん減っていったという。 又吉はそこで思ったことは、みんな自分にかける期待が大きすぎた。ということを話していた。 新生活がスタートし、みなどういう心境で過ごしているのだろうか?緊張反面まだ新人は、仕事という仕事をしていないのかもしれない。 そして、仕事も少しずつ任せられるようになると私はこんなもんじゃないと思うこともしばしば。

          又吉の話

          チョコザップ入会 ともだち紹介コードあり

          先にチョコザップのともだち紹介コードを載せておく。 G4KK2KKK もし入会する人には是非使ってもらいたい。 20代も後半に入り、部活動に明け暮れていた 学生時代からも10年程経った。 学生の時からのいわゆる筋肉貯金は底をついたようで、最近お腹が出てくることや疲れやすいなど中年男性の身体になってきたように感じる。 しかし、毎日ジムに行くほどの時間的余裕もない。 金銭的にも普通のジムでは月7000円程かかるのが普通だ。年間にするとかなり痛い出費だ。 筋力低下が起こると、

          チョコザップ入会 ともだち紹介コードあり

          大事が故に今は一緒に暮らさない

          ある番組で22歳女性と35歳の男性のカップルが取り上げられていた。女性は春から社会人であり、二人でこれからの人生を考えたという。女性は同棲も考えていたが、なれない初めての仕事でストレスを相手にぶつけたくないという思いから同棲は今はしないという選択をした。 大切だと思うがゆえに距離感を考えていく。そういうことがこのカップルにとって大切にするということなのだと思った。 大切にする形というのはひとりひとり違う。 相手のことを知って、大切にしたいと考える。素敵なことだと思う。

          大事が故に今は一緒に暮らさない

          72時間ドキュメントを見て

          この番組を見ると多種多様な人々が同じ国に暮らしていると知ることができる。 何というか自分はひとりじゃないと思うことができる。 この番組は本当に普通の人達にスポットライトを当てている。皆懸命に生きているのだと、境遇に恵まれないながらも前を向いている人たちに励まされる。 日常で駅のホームにいる人達ひとりひとりにも事情があり、物語があるよなぁと思う。 そう思うと自分の物語を自分で作っていく。 そして自分が納得できる人生でもできない人生でも寿命が来るまで生きる。 別に誰に認め

          72時間ドキュメントを見て

          気を遣うことを減らしてみた。

          前職では過剰に気を遣って働いていたなと今になって思う。そうすることでできるだけ周りに敵を作らないようにしていたのだろう。 相手が喜びそうなことを考えたり、配慮をかなり意識をしてやってきた。仕事も率先してやり仕事ができると勘違いされた。ただ頑張って必死にやっているだけなのに。 昔は自分には価値があると思われたかったのかもしれない。その為に人に必要とされるような行動や言動をしていたように思う。 それは周囲の人からは喜ばれていたかもしれないが、自分の意志と言動が離れている自分に

          気を遣うことを減らしてみた。