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カリスマ的桜樹/4度目の春

 毎年、桜が咲く季節が訪れるたび、なぜ桜がこれほどまでに人々に愛されるのかと不思議に思う。春に咲く花は幾つもあるのに、桜は季節の代名詞の如く、作品の題材から曲名まで幅広く起用されている。SNSを開けば、多くの人が満開の桜を投稿をしていて、特別にどこかで花見をしなくとも、まるで自分が現地に行って見てきたような気分になる。

 ただ、人々が各々の場所で、各々の想いを馳せながら、桜を眺めているということも知っている。

 先日、お客さんとの雑談の中で、同じ部署の先輩が「誰に見せるためでもなく、毎朝、通勤電車の中から同じ桜の写真を撮っている」という話をしていた。敬愛する写真家・森山大道の言葉を借りるならば、その先輩は自分だけの『カリスマ的桜樹』を見つけていて、何だか良いなと感じた。

 私にとっての『カリスマ的桜樹』は何だろう。そう考えてすぐに、一本の桜が思い浮かんだ。最寄り駅から職場に向かう道中にあるお寺の桜だ。見上げれば、青い空と青いビルに凛とした桜が映える。この桜を見るたびに「今年ももうそんな季節か」と思う。上京した当時は、地元より1ヶ月ほど早く桜が咲くことにあれだけ違和感を覚えていたのに、いつの間にか慣れてしまっている。

 これから学校の入学式の撮影に行くというカメラマンに「行ってらっしゃい」とLINEを送って、東京生活4度目の春が始まった。

 4月から所属する部署が変わり、新しい部署の雰囲気が明るくて、前向きな気持ちで仕事に取り組めるようになった。私は、おそらく自分が思う以上に『気』というものを重視しているのだと思う。以前、仲良しのお客さんの顔を見ると勝手に涙が出てきて、自販機の陰で二人で話したこともあった。このまま良い流れに乗って、行き止まりだった日々を越えるくらい、楽しく仕事をするのが秘かな目標だ。

 一人でいると考えすぎて底深く沈んでしまいそうな気がする。だから明るくて、さっぱりとしていて、前向きな大人のことが大好きなのだと思う。一方で、明るい人がもつ『明るさ』や気楽な感じの人がもつ『気楽さ』は、その人の意思によって醸成されたものであり、自分が自分らしく居られると感じるのは、その人の意思のおかげであることを忘れずにいたい。

 いつの間にカリスマの花は散り、新宿の街は滴る若葉色に美しく染まった。きっと来年の春も、カリスマ的桜樹を見上げては「去年よりも成長できたのだろうか」と自身を照合するだろう。

 

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ZINE『このまち』刊行/文学フリマ東京38参加

 メンバーの一員として参加させてもらったZINE『このまち』が遂に刊行となりました。中央線沿いの街を舞台にした短篇小説・エッセイ・お散歩プレイリストが収録されています。

 ZINEがきちんと形になったことを、とても嬉しく思います。他のメンバーの作品については既にデータで拝見していましたが、完成したZINEを手に取って改めて読んでみると、そこには名状しがたい感動と面白さがありました。きっと誰もが「自分がいちばん良い文章を書く」という心意気をもって執筆したのだろうということが伺えるような気がします。

 中央線沿いの街は何度も訪れているはずなのに、「こんなこと考えたこと無かったな」という新たな発見を何度も得られました。読了後、その街を再度散歩してみるのもきっと楽しいと思います。

 5月19日(日)開催の文学フリマ東京38に、ZINE『このまち』も並びます【ブース:W−04】。一人でも多くの方に手に取っていただけますと幸いです。当日は、いずれ売れていくであろう友人たちの応援のため、現地に足を運ぼうと思っています。そして次回12月1日(日)の文学フリマ東京39に向けて、現場の雰囲気を掴む機会にしたいとも考えています。次回は個人名義で短篇小説と写真集で参加したいという野望があり、現在は制作に向けて下準備をしている段階です。

 最後に、ZINE『このまち』のメンバーとは、知り合うことができて本当に良かったと思います。メンバーに負けないように、私も自分なりの作家路線を歩んでいく所存です。

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