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心の中の神さま佛さま


 亡くなった夫を、新潟大学に献体として送り出してから3年の年月を経て、この若葉の季節にようやく返還され、両親をはじめご先祖さまのおわします魚沼の墓地に納まりました。

 この歳になると、もう何人もの肉親や友人を送っていますが、一連の葬儀を経て納骨に至ると、それでひと先ず、気持ちに区切りがついていたような気がします。

 けれども、このたびは違います。身体はまだ医学生や歯学生と付き合いながら、心は千の風に歌われるように、自由に飛びまわつていたに違いありません。

 子供達もみんな、父親の気配をいつも身近に感じていたようです。
 妻である私などは、日常に起こる偶然のタイミングの良し悪しが、いつも夫の意思によるものとしか思えないことが、多々ありました。
 亭主関白だった夫に逆らうことなく、大抵は夫の意思に従って行動していたので、それがごく当たり前のように過ごした3年間でした。

 私はクリスチャンでもなく、信心深い人でもありません。無神論者というより、日本的な汎神論者だと思っています。 あらゆるものに神が宿り、人々の心の中にはそれぞれの神が居る。運命というか、人間が逆らうことのできない自然の大きな力を信じます。そこに、或いは親の、またもっと前のご先祖の意思も働いているかもしれないと感じるのです。

 夫の身体は無機質となって、目の前で、墓の中に閉じ込められてしまいましたが、心は今まで通り自由に飛び回って、私を支配したり、子供達を守ったりし続けるのでしょう。

 "千の風になって" の歌詞は、まさに言い得て妙です。

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