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父娘のあいだには、蜜柑の花の香り

父の運転する車に乗って、窓を開けたらふわりと蜜柑の花の香りが鼻腔をくすぐった。いいにおいだねえ、蜜柑の花が咲いてるねとつぶやく。それだけでよかった。

いつもはツンとくる煙草のにおいも、窓が開いているから気にならなかった。ふたりのあいだにずっとあった蟠りが、風に吹かれて飛んでいったようだった。

畑に着いてさやえんどうをパチンパチンと鋏で収穫していると、腕に通したビニール袋にちいさな重みが増して肘下をやさしく食んでいく。食べ頃になった薄っぺらい半月を無心で捕まえるのが楽しかった。

蜜柑の木にはいつのまにか白い蕾がわらわらとついていた。そんなにたくさん咲かせようとしてるのかあ、欲張りだなあと思いながら、ぷちんぷちんと蕾の下の茎を爪で折って間引いていく。

たまにすこし膨らんで雄蕊と雌蕊が見えるものもあって、がんばれよ、と声をかけたくなる。きれいだなあ、と自然と湧いてくる。ただただ美しいものを美しいと思えるだけの時間が心地よかった。

右手の親指の爪のなかが緑色になって気持ち悪くて、歯ブラシでしゃかしゃかとこそぎ落とす。とぷとぷと流れる洗面所の水と、歯ブラシの音と、あっというまにきれいになった爪がうれしかった。

わたしとお父さんのあいだにあると思っていた溝も、実はしゃかしゃかと簡単に落とせるものだったのかもしれない。間引かれた蕾のようにぽろぽろと落ちていったのかもしれない。さやえんどうのたんと入ったビニールのように、なんてことない重さだったのかもしれない。蜜柑の花の香りのように、季節を感じるほんのひとときだったのかもしれない。

長い長いと思っていたけれど、いつのまにか終わっていた。これからの時間は短いかもしれないけれど、今までのわたしよりもずっとうまく一緒にいられるんじゃないかと思った。







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