遺跡サウナ論
最近サウナにハマっている。以前は水風呂に入ると心臓がびっくりして死ぬんじゃないかとあらぬ心配をして、サウナで汗をかいたとしても水風呂だけはさけてきた。ここ一年ほどだ、サウナの楽しさがわかってきたのは。
100度を超える熱いサウナに10分弱。汗だくの汗を流してから15度から20度の冷たい水風呂に浸かる。だいたい2分から3分身体を冷やし、白いプラスチックの椅子に座りじっと脱力する。その熱いサウナで広がった血管が冷水でキュッと締められ、血液が身体の中を走り回るのが体感できる。手足はビリビリと痺れた感覚になり、冷やされた血液が頭を巡り、視界はぐるぐると身体は白い椅子に溶けていく。ドラッギーな表現になってしまったが、簡単に言えば血行がめちゃくちゃ良くなって、気持ちよくなって、挙げ句の果てに「整う」のがサウナの大きな楽しさだ。
縄文関連で東日本の各地に行くことも増え、僕は縄文巡りの1日の締めに温泉とサウナを楽しんで、いい感じに整ったりしているのだ。
テレビ東京でもサ道というドラマがはじまり毎週楽しみにしている。ますますサウナの楽しさは世間に広まっていくだろう。
もちろん縄文にもハマっている。何もない遺跡に訪れるのも好きだ。こちらも新参者ではあるけど、サウナよりはもう少し歴は長く、だいたい8年くらいは色々と訪れたりしている。縄文巡りの楽しさについてはまだ世間は気づいていない。
さてタイトルの「遺跡サウナ論」とはいったいなんのことなのだろうか。もちろんまだ誰も知らない理論だ。
遺跡に行っても何もない。これは本当に何もないのでいろいろ面食らう人も多いだろう。もちろん史跡公園として整備されている遺跡もあることはあるのだが、たいていの遺跡はただの畑、普通の公園、草っ原、住宅街、道路。立て札があれば良い方で、興味がなければただのなんでもない風景にしか見えない。だから大抵の人は遺跡には訪れない。
僕だってわかっている。突然遺跡に訪れるのはハードルが高すぎる。
遺跡の前にまずは地域の考古館や郷土館、博物館に訪れるのをオススメしたい。東日本のそこにはほとんどの場合その地域の遺跡から出た土器や石器や土偶なんかが展示されていて、はっきり言って、行けば必ず何か面白いものを見ることができる。その土地に根ざした土器や、その土地ならではの縄文文化の考古資料。土器に付けられた文様には明らかな人の気配が残っていて、さらにわけのわからない縄文の何かはめじろおしだ。好奇心はガンガンに刺激される。
もしそこで気になった土器や土偶なんかがあったとしたら、ぜひ館の人にこの土器のくわしい出土場所を聞いてみよう。意外と近くにある可能性も大きい、徒歩で行ける近さの場合もある、遠くても車だったら最大での20〜30分の距離だ。
遺跡に訪れる。ここには何もない。やはりここが遺跡だと知っていなければ素通りしてしまう場所だろう。しかし立ち止まるとなぜか景色が良いし、良い風が吹いている気がしてくる。僕はしばらくこの場所で佇む。どこからか風の歌が聞こえる。
ここまで読んで勘のいい人だったらもうわかっていると思う。考古館や博物館はサウナだ。ホットな考古遺物が大量に網膜に飛び込んで、そのわけのわからなさで頭の中はハテナでいっぱいだ。ハテナとともに好奇心は強烈に熱を帯びる。
何もない遺跡は水風呂だ。何もない普通の風景は好奇心の血管をキュッとしめる。目を閉じてさっきまで考古館で感じた土器を思い出す。この地面の下には数千年前の暮らしがあったことに土器を作る縄文人の指先を思い出す。身体の中には熱がまだ充分に残っている。
サウナでは温冷のポンプ効果で血行が良くなると言われる。それと同じように遺跡では好奇心の血行がよくなる効果があるんだと思う。
遺跡サウナ論、ぜひあなたも遺跡で「整って」みませんか?
※遺跡は私有地になっている場合も多い、考古館で行ってもいいかどうかは確認しておこう。