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コロナ禍中でもベニスの救世主「モーゼ」は動く

ベニスは高潮に襲われて街中が水浸しになる被害をひんぱんに受けます。

100メートル近い高さがあるベニスのサンマルコ広場の鐘楼の足元には、高潮の潮位を示す掲示版メーターが備えられています

ベニスの高潮は秋から春にかけて起こります。12月の今のこの時期も真っ盛りです。

アフリカ・サハラ砂漠生まれの風「シロッコ」がアドリア海に吹き込んで、海面の潮を吹き集めて北のベニス湾に押し込みます。

それによって街が浮かぶラグーナと呼ばれる遠浅の海の海面が急上昇して、ベニスを水浸しにするのです。

元からある自然の悪条件に加えて、最近は温暖化による水位の上昇という危難も重なりました。

そのためベニスの街はさらに大きな高潮浸水に襲われる、という最悪の構図が固定化してしまいました。

サハラ砂漠が起源のシロッコは元々は乾いた熱い風ですが、地中海を吹き渡る間に水気を吸って湿ります。

熱く湿った風となったシロッコは、アドリア海のみならずイタリア中に吹きまくって環境に多大な影響を与えます。

それはヒマラヤ起源の大気流が影響して、日本に梅雨がもたらされるのにも似た自然の大いなる営みです。

シロッコが高潮をもたらす気象状況は、ベニスの街が誕生した5世紀半ば以来えんえんとつづいてきました。

しかし近年は高潮は、洪水と呼ぶほうがふさわしいほど悪化して、被害の拡大がつづいています。

実はベニスは、シロッコの被害を別にしても水没しつつあります。

周知のようにベニスは、遠浅の海に人間が杭を打ち込み石を積みあげて、土地を造成し建物を作っていった街です。

そこは海抜1メートルほどの高さしかありません。

それにもかかわらずに地下のプレートが毎年数ミリづつ沈下しています。放っておいても数百年もたてば海抜0メートルになる計算です。

それに加えて、地域の工業化に伴い地下水を汲み上げ過ぎたために、人工造成された街の地盤が沈下する悲劇も起きました。

現在は少し良くなりましたが、危機的な状況に人々が気づかなかった1950年から70年にかけての20年間だけでも、地盤は12センチも沈降したのです。

課題の多いベニスには、ここ数年は中国人観光客が大量に押し寄せて、これまた元からあるオーバーツーリズム問題に拍車がかかりました。

そのため彼らのマナーの悪さなどへの批判も重なって、中国人の重さでベニスの沈下速度が加速している、といったデマが流れたりもするほどです。

街では年々悪化する浸水被害を食い止めようとして、多くの対策 が編み出され試行錯誤が繰り返されてきました。

その中で究極の解決策と見られたのが、ベニスの周囲に可動式の巨大な堤防を設置して高潮をブロックする計画、いわゆる「モーゼ・プロジェクト」です。

モーゼがヘブライ人を率いてエジプトから脱出した際、海が割れて道ができた、という旧約聖書の一節を模してそう名づけられました。

壮大なその計画は、アドリア海からラグーンに入る海流の入り口となる海中の3箇所の自然道に、防潮ゲートを設置するというものです。

モーゼは海を割って道を作る軌跡を起こしました。

「モーゼ・プロジェクト」は海を遮断して壮麗な歴史都市ベニスを救うのです。

「モーゼ・プロジェクト」は1980年代に着想され2003年に工事が始まりました。

何度も工期が延び莫大な税金も飲み込んだ挙句、プロジェクトは2020年ついに完成しました。

そしてプロジェクトが完成したばかりの昨年10月3日、ベニスが高潮に襲われました。

それにあわせて、史上はじめて巨大な移動式堤防「モーゼ」が起動されました。

普段は水中に没している78基の鉄製の防潮ゲートがせり上がって、外海からベニスの潟湖へと流入する潮を堰き止めるのです。

「モーゼ」はうまく作動して高潮をせきとめ、ベニスは救われました。

ことしは大きな高潮はまだ起きていませんが、ベニスは今後はあるいは、高潮の被害から完全に解放されているのかもしれません。

それはこの先、史上最悪の高潮だった1966年の194cm、また2019年11月に起きて甚大な被害をもたらした187cmの高潮などに迫る大難が襲うときに、一気に明らかになることでしょう。

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