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トイカメラの低画質画像を販売します。

初めまして。

タイトル通りトイカメラVISTAQUEST VQ1005で撮影した

「低画素数」「低画質画像」「低クオリティ」の画像を販売します。

<<そもそもそんなものに需要はあるか?>>

と問われれば、はっきりと「ない!」と答えます。「低画素数」「低画質画像」「低クオリティ」。画像を欲している方々にとって全くいらない相手にもしたくない画像です。こんな画像にお金を払うということはないでしょう。では、なんでそんなことをするのか?クリエイターと呼ばれる人種によくありがちな「逆張り」という習性でしょうか?その気持ちは全く「0」かと言われたら「0」ではないかもしれません。でも、一番強い気持ちは、「無駄なものを作りたい」「余白を作りたい」と思ったんです。

「無駄なもの」=「必要ないもの」という風潮

昨今、無駄を排除する風潮がすごく強いと思うんです。確かに、無駄は省いた方が効率を上げることもできるし、省エネにもつながりますね。でも、少し行き過ぎてしまっている感を思うのです。

例えば、家の中に、絵は飾らなくても生きていけるから、絵は必要ないのでしょうか?例えば、日本の伝統芸能「歌舞伎」がありますが、歌舞伎を見なくても知らなくても生きていけるから「歌舞伎」は必要ないのでしょうか?

僕らの周りにある一見無駄に見えるものとは、「文化」とか「芸術」ってものなのではないでしょうか。そしてそれは、無駄なんかじゃない大切なものなのではないでしょうか。

<<トイカメラの存在意義と悲哀>>

トイカメラは、「トイ(おもちゃ)」なだけあって、ちゃんとしたカメラには、何一つ敵いません。また、トイカメラは、「カメラ」のくせに、携帯やスマホのカメラよりも性能は劣ります。

唯一の個性は、チープかつレトロな独特な画像を撮る事が出来る。

でも、その個性だって、レトロ風にアプリで加工してしまえばすぐに出来てしまう。唯一の個性でも太刀打ちできないトイカメラ。自分はここに、自分を重ねてしまうのです。

クラスで誰よりも足は速かった。だから陸上選手を目指した。でも、上には上がいた。とか、目指したものはサッカー選手であってもいいし、絵でも、ギターでもなんでいいのですが、そういう過去を持つ人は少なからずいます。個性だと思っていたもので太刀打ちできなかった場合、存在意義はなくなってしまうのでしょうか。存在意義のない人は無駄なのでしょうか。

無駄ではない!無駄なんかではない!と言いたいのです。

無駄を排除することは、理と結びつき今や主流となっています。だからこそ今、自分は無駄を作りたいのです。「無駄」言い換えれば「ゆとり」とか「余白」とか。そして、その「無駄」に存在意義の危うい「トイカメラ」に重ね合わせてみました。

ここの画像は、誰にも買われることはないでしょう。けれども、買われることが目的ではありません。無駄なものを無駄に思われるもので作り無駄を売る。という行為が目的です。

長々と失礼しましたが、何卒宜しくお願い致します

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