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人間合格

ここに三冊のアルバムがある。
古びた赤い一冊におさめられている写真はどれもこれもモノクロームであるにも関わらず被写体の人物、すなわち私だが写真を眺めるだけで当時の色彩が鮮やかに浮かび脳の中でカラー写真に変換できている。
全て笑顔の童女の写真であり、陰鬱さは全くない。七五三の着物は白い正絹で古典的な菊の紋章が染め抜かれた四つ身。親か祖父母の趣味だろうが。笑顔の写真ばかりだ。

青いアルバムにはカラー写真とモノクロームが混在していて小学生から中学生にかけてのものであるが年齢にそぐわず首を傾け、ポケットに手を突っ込み斜にかまえていたり頬杖をついてぼお、っとしている。陰鬱な横顔はみていていやになる。

白いアルバムはカラー写真のみで笑顔の写真は全くない。黙々とピアノに向かう姿や幼い弟妹の横で泣きそうな表情でそっぽをむいている。


私は二回結婚し二回離婚している。
生きていくことの喜びも痛みも年齢なりに感じてきている。生きていくことの辛さや苦しさももちろん別離のさみしさや、世を儚み、自傷を繰り返したりもしたこともあった。

白いアルバムからたいして「大人」にはなれてはいないがそれでも私は生きている。

何度も死のうか、と思い詰めたが誰かを道連れにしようなどと考えたことは一度もない。すべて未遂に終わり、未だ生きている自分を恥ずかしいとはちっとも思わない。
今は希死念慮は              ない。


昨夜の悪夢を記しておきたい。
…二人目の夫のことは普段考えないことにしているはずが昨夜の夢では再会、そして復縁している暮らしが夢に表れた。アパートでなく一戸建てのようで彼から小さな小さな直径5ミリくらいの茶色い指環をもらって左手の小指に指環を通した。
夢であるので直径5ミリの指環はすんなり指に、そして刻印まで見ている。夢だからだ。
2020年3月1日、と刻印があった。私たちが離婚したのは2019年、そして今は2023年。
妙な夢をみたものである。
場面が変わる。
私がふたり、いるのだろうか。自分自身を見送っている。小さな商店の中からもうひとりの自分が白いドイツ車のクーペに乗り込む姿を見つめている。
また場面が変わる。
Rから戸締まりをしっかりするよう言われて白い建物の扉を閉めようとしても扉は幾重にも重なり、閉まらない。
ならば扉を外してしまえと蝶番を壊そうとして、そこで目が覚めた。


起きたら三冊のアルバムが足元に散らかったままだった。昨夜眺めたのかそれすら覚えていない。睡眠導入剤のせいで健忘でもおきたか、とアルバムを部屋の片隅に押しやる。

生きていく過程で自分はたくさんの人を泣かせ、苦しめてきたこともあっただろう。
その逆で泣かされ、苦しんだこともあったはずだ。

すべて人として生まれたからこその喜び、や、苦しみ、や、辛さやなにかは人間の人間たる感情を持つが故に違いはなかろう。


この時期、桜の季節に涙が止まらなくなることが多くなったように感じる。
人間失格なる大作のタイトルをもじった割にはたいした内容ではないただの戯れ言の塊の文章でも私は太宰の年齢を追い越し、生きている。
気鬱のせいなのか、発狂寸前なのかはわからない。


大きな声をあげるわけでもないしかまって欲しいわけでもない。私はガンを患い、今、心も病みつつある自覚がある。誰が悪いわけでもない。


大それたタイトルの割にはたいした内容でもない戯れ言の日記でもこれを書いているのは私が人間として生きてきた証には間違いはない。

三冊のアルバムはとにかく、他に大切な書物も傍らに置いてある。旧カナ遣いで読みにくいかもしれないが、と、かつての担任が速達にて送ってくれた文庫本だ。
昭和2年刊行。あの太平洋戦争でよくぞ焼かれてしまわなかった貴重な海外文学だ。セルロイドの人形たちや海外文学の和訳さえ敵国の文化として焼失した事実がある。ドレミファソラシドすら禁じられ、音階ははにほへといろは、だったという。人間が争うと本当に醜く、残念なこともおきてしまう。残酷、残虐だけではない。人命だけでなく失くしてしまうものが多すぎると泣いていた祖母を思うと胸が締め付けられる。赤と青のアルバムの中に祖母の姿がたくさん残されている。
ちなみに私は学生時代、その先生に生意気にも毒を吐いた。先生に向かってなんだその口のききかたは!に、先生とは先づ生きていて先に生まれた、と返した。当時の話を電話で謝ると「あれは正解なんだ…先に生まれた。それだけなんだ」と返ってきた。
私は電話の向こうに頭を垂れて非礼で生意気を言ったと詫びた。
本当に良い先生だった。今思えばnoteを書いている自分を鍛えてくれたのは、その担任の先生の指導や教えは後の私の礎になったのは間違いない。
昭和二年刊行の小公子がそれを教えてくれたのだ。


私はずっと自分は「失格」だと思って生きてきた気がする。
そして今は情緒も不安定な状態でもある自覚がある。
元夫と復縁したいなど考えたことはない。いまだに引きずっているのか、と他人から言われるが大きなお世話だ。復縁は不可能。望まない。望めない。そして其は再び互いを不幸にするだけの話であるし、毎月月末になればいやでも彼は私を思い出さなければならない現実がある。あえてここではその内容には触れない。


つまづき転んで悩み、会社を休み、こんなくだらないことを書き連ねている。
人間だからこそだ。

私は人間として失格ではないようだ。寧ろ人としての生き方は下手でも人間合格のようでもある。


左手の       指先みつめ
               薬指
かっこだけのリング
          きらきら輝く


苦しみもがいても表に出さないことは美徳でもなんでもない。
ただの虚勢。虚勢も自分が人間の証。 大それたタイトルにも太宰治にも申し訳ない。

私は人間合格だ。     
今日、 そう思うことにした。

                      ゆー。

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