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サマリー画廊の楽しみ方ーーなんで画廊に足を運ぶのか【アート・エッセイ】 42~46〈京都散策篇〉前半

第42回


 アーティストは、社会や人間関係、風土とでもいうものに育てられて生まれます。

 画廊というものも、そうでしょう。

 東京は、ビルの建て直しや家賃の上昇で、移転したり、やめたりする画廊も増えてます。

 銀座を中心にあった多くの画廊も、馬喰町や人形町と、銀座の周辺に移っているようです。

 それは新しい美術シーンを生み出していくかもしれません。

 2023年の秋、ちょっと京都を訪ねることにしました。建物を更新する文化とまた違う京都の画廊を覗いてみます。

第43回


 京都に早く着いたので、東本願寺にお参りに行きました。朝早い頃だったので、手づくり門前市は、準備をしながら開いているところでした。

 焼き物、骨董や古着にまじりながら、自然食のパンや、スイーツの店も並んでいました。また、手づくりのアクセサリーやカバンなどもありました。

 東京でいえば、下北沢や表参道、吉祥寺のフリーマーケット的でもありますが、漂う風情が、そこの地の色を醸し出しているようでした。

 「限界芸術論」のマージナルにあるものは、こういうものや受け継がれた地域の経験かもしれません。

 次は、京都でお邪魔したギャラリーの話でもしましょう。

第44回

 画廊の楽しみ方は、京都旅行の報告みたいになってきましたが、画廊も、地域の風土に育てられるものだと改めておもいます。

 司修さんの個展をやられているヒルゲートにお邪魔しました。

 司さんは、画家、絵本、装丁など幅広く活動されている方で、大江健三郎の本の表紙もあります。また「戦争と美術」などの著作もあります。

 ヒルゲートは、ひととひとを結びつけるようなさまざまな活動をされています。

古い民家を改装を続けたギャラリーは、その痕跡と、改装の工夫が混じり合ったもので、一階の吹き抜けと二階の壁の間の窓が、なんとも良かったです。

それぞれが動きながら、互いの気配を感じることができる窓、つながらなくても、どこかでつながる、そんな、良さがありました。

京都に行かれるおりにでも、窓をのぞいてみたいたも良いでしょう。

第45回

 お寺を、アートの展示の場とすることは、かなり前から行われていました。東京でも、いくつかの寺院でもそのような営みが行われています。
 それは、小さな集まりをベースにしたものから、ホールのような講堂をフルに利用したものや、建物本来の形式に交わる形のものもありますが、空間コミュニケーションの延長ともいえるでしょう。
 東福寺光明院は、作庭家の重森三玲による波心庭が見事です。


 立ち寄ったとき、高畑彩佳 個展『ゆめゆめわすれることなかれ』が開催されていました。
 落ち着いた空間の中にコッソリ語るような展示でしたが、京都のお寺の展示は、本来の空間に溶け込むような感じのものが多いのかもしれません。
 そこにも、文化と歴史の影響があるのでしょう。




第46回



 京都、散策のかたわら、奈良県の橿原市今井町を訪ねました。
 目的は、今井町でなかったのですが、むしろ行ってみて、はじめて、今井町の存在を知ったようなものです。

町、そのものが古民家を保存しているような区間で、古い民家が並んでいました。なかには、1600年代から残るものもあるようで、歴史好きにはたまらないと思います。

岡田准一の出演した映画『燃えよ剣』や『私の幸せな結婚』など、ドラマや映画のロケ地にもなっているようです。
 ものだけが置いてある博物館的な場所でなく、そこでは、普通にひとが暮らしていて、ひとが行き交うゆえの生きた脈を感じます。

 小さい頃、走り回った故郷の、今はなくなったありきたりだった風景をどこか思い出しました。


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