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【映画】~小津安二郎監督。数字「12」との関係とは・・・~

写真=1996年頃、パリのカルチェラタンの名画座での小津映画特集の看板

今年2023年は小津安二郎監督の生誕120年(1903年)、没後60年(1963)の記念年で、各地で展覧会、上映会、イベントなどが数多く行われてきた。

今夜12/2(土)23:00からもNHKEテレで下記のような特集番組がある。

また4K映像などの小津映画上映会も東京・渋谷(12/8-12/14)にて。

私が初めて小津映画を観たのは、1975年頃の高校生の時で、確か『彼岸花』と『秋日和』の2本を続けて観た。その時は小津映画の良さはよくわからなかったが、それ以来現在に至るまで50年近くの小津映画ファン→マニアである。

日本の映画監督に関する書籍では、入門編~専門的な研究書まで、黒澤明監督を抜いて、最も多いのが小津監督関連の小津本だと思われる。
私はそのうち3割くらいは読んでいるだろう。

小津映画に関しては、書籍、最近ではインターネットやSNS、YouTubeなどでも研究者以外の一般の映画ファンも様々なことを書いている。
私自身も匿名で映画のウェブサイトを一つ、YouTubeチャンネルを一つ、一人で作成・運営しているので、そこでも小津映画についていろいろと紹介してきた。

そこにはすでに書いたことだが、本noteには書いたことがない(確か)と思われることを書いてみる。

タイトルに挙げた12という数字だが、これはまず小津監督の生まれた日が12/12(亡くなった日も60歳の同日!)ということ。
さらに小津映画の中には面白い形で登場する映画が2本ある。

これを私が発見(私が読んだ数多い小津本には記述無し)したのは、生誕100年の2003年に刊行されたシナリオ集の「小津安二郎全集(上)(下)」(井上和男編 新書館)の中の記述で、その後に実際の映像でも確認した。

1本目は、私が小津映画の最高傑作と評する『東京暮色』(1957 松竹大船)

上記の全集の(下)からの引用。

東京暮色 p301

122(注:シーンナンバー)
同夜 上野駅の発車告示器
二十一時三十分発 青森行

123
同ホーム
12番線
のインサート
列車が着いている。
駅員のアナウンス等が聞えて-

ストーリーは省略するが、冬の夜の上野駅(実際のロケーションだろう)から相島栄(中村伸郎)と妻・喜久子(山田五十鈴)が夜行列車で北海道に向かう場面。喜久子は、別れた夫杉山周吉(笠智衆)・長女の孝子(原節子)が見送りに来てくれるのではと何度も車中からホームを見る。(原節子は結局現れない)

『東京暮色』は小津映画の中でも、暗い雰囲気の映画として、そして公開当時から長い間失敗作として語られてきた作品。
ところが最近になって本作は物凄く評価が高まり、今では失敗作という人は少ない。
私は30年くらいまえから『東京暮色』=最高傑作説を個人的に主張していたので、「そうだろう!」という感じだ。

このシーンは厳密に言うとラストではなく、この後笠智衆と原節子が家で会話し、翌朝笠智衆が一人で出勤して家の前の坂道を降りていくショットで終わる。

2本目は『東京暮色』1年後の映画=『彼岸花』(1958 松竹大船)

本作は、モノクロ映像で冬の寒々しい雰囲気の悲劇的なドラマ『東京暮色』とは対照的に、初のカラー作品で、従来の小津調の「娘が結婚するまでのホームドラマ」である。有馬稲子は『東京暮色』に続けての出演。大映から山本富士子が出演。

『彼岸花』のファーストシーンは東京駅。
同じく上記の全集の(下)からの引用。

彼岸花 p307
1  東京駅
午後三時ころのホーム

2 その十二番線
湘南電車が発車した直後で、発車時刻表の数字がパラパラと変る。
新婚旅行を見送りに来た人たちが挨拶をかわして帰ってゆく。~(略)~

この2本の映画は何度も観ていたが、この12番線つながりに気付いたのはこのシナリオ全集を読んだ時だった。さっそく保有する録画ブルーレイを観て、駅の12の数字がアップで映るのを確認した。特に『東京暮色』の方は12という数字が割と長くアップで映る。

1本の映画の中で、場面転換やアクションつなぎの編集等ショットのつなぎを見せる映像表現は珍しくないが、2本の映画(それも連続した)の中でこのようなつなぎをする(厳密に言うと『東京暮色』はラストシーンではないが・・・)映画の他の例を知らない。外国映画、日本映画とも相当な数を観てきたが。

「冬の夜の上野駅のホーム(モノクロ)」→「陽の差す日中の東京駅のホーム(カラー)」
「北海道へ向かう中年の夫婦」→「新婚旅行に向かう人たち」
という対照的な内容を12番線のホームでつなぐというのは、何と「洒落た」映像表現かと感心した。

よくある小津研究のように深読みせず、これはただ単に脚本=小津安二郎、野田高梧の二人の「遊び心」「洒落っ気」だと思う。
蓼科の山荘でシナリオ執筆していた二人が、「こういうのを気付く観客はいるかねぇ」などと会話しながら書いていたと推察しているのだが・・・

小津映画には、これ以外にも映像の遊びのような楽しいシーンやショットが数多く見られる。空ショットでの小道具など。『彼岸花』に登場する「赤いヤカン」も有名だ。
小津映画は同じ作品を何度観ても発見があるので、50年近く飽きずにマニアでいられるのである。

最後にここまで書いて、実は私は「おっちゃん」(小津安二郎監督)よりも、書籍も1冊書いている「みきちゃん」(成瀬巳喜男監督)の方が、好きであり、ズバリ言えば映画監督としてより高く評価している。
(親友同士でライバルでもあった二人の監督の呼び名)
まあ小津監督より評価が高いということは=成瀬監督は世界一の映画監督ということになるのだが。

小津監督より2歳下の成瀬巳喜男監督(1905-1969)は、今年が生誕118年(笑)、再来年の2025年が生誕120年となる。






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