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クリスマスマーケット

昨日の午前中、心地良い天気の中、家族と「千葉みなとクリスマスマーケット」へ行った。

前夜は津波注意報が入った。
予想されていた津波の高さから心配になったが、開催時刻の1時間前に解除されていたらしい。

私は解除に気づいていなかったが、きっと問題なく開催されているだろうと向かった。巡視艇「たかたき」は、きっと来られないのだろうな、とも思いながら。

着いて間もない、お店もよく見ていないタイミングで、千夜市夜の人をお見掛けした。

千夜市夜の人は、お団子のパックを持っていた。美味しいという話をしていた。
通りかかった着ぐるみも話題になった。私は、何年か前、千葉県文化会館の屋内イベントで、軽快にユーモラスな動きをしていた、モノちゃんを思い出していた。
少しお話してお別れした。

いろいろな楽しいお店を眺めていると、子どもが「あ。食べてる。」と突然、言った。「???」と顔を上げると、椅子に座って食べ終えたらしき串を持った、千夜市夜の人が視界に入った。目ざとく見つけた子どもに笑ってしまった。

いろいろな商品を眺めて楽しみながら、お団子のお店に着いたときには夫もいた。が、昨日のクリスマスマーケット後は、そのまま夕方まで外出予定だった。お団子を持ち歩くのは難しいだろう、という話になり購入しなかった。

食べ終えた後も含め、かさばらない、持ち歩きやすいものがあったら、とは思っていたのだが。持ち歩き時間が長くなるので、買い物に向いた日ではなかった。結局、今年は買い物には繋がらなかった。

先日、癒された、カモミール茶のような茶葉があれば買おうと思っていた。そう都合良く出店がある訳はない。とても勝手な希望で、きっとそんなお店はないだろうな、と思っていた。
その用事は今日、カモミールとラベンダーの茶葉を買ったことで終了している。

夫は子どもへ、下敷きとポストカードを本部でもらってきたらしい。
子どもは、チバミナコちゃん下敷きも気になっていたようだった。
が、珍しくサンタさんから欲しいものが早々にあるため、ポストカードの方が気に入ったようだった。サンタさんに何を欲しいかを書けるデザイン。

千夜市夜の人からは、今年は看板を作るのを頑張った、とのお話も聞いたのだが…
私はキッチンカーを眺めながら通過した視線の反対側。見ていなかった。
上の写真は、会場をほぼ見終わった頃に「看板って、どこだったんだろ?」と思いながら探し撮ったもの。

探したのは、看板だけではなかった。
まだ人出は多くない時間だったが、はぐれた夫も探していた。
目視を諦めスマホを頼ろうとしたところで、スマホがないことに気づいた。

大げさでなく愕然の展開だった。

忘れ物は、私としてはそう珍しい話ではない。
が、スマホは忘れにくいというか…
外出時なら必携だと思っているので、かなり気にして持ち出すようになって久しいアイテム。

しかも、気づくのが遅過ぎる。
あまりの遅さに、落として紛失、ということも疑った。
が、バッグに入れた記憶がないのだから、即座に否定。

その時間までに、何度もバッグの中は見たはずなのだが…?
という意味でも遅過ぎた。

看板の写真を撮ったカメラは、バッグから出し入れした。その前に、千夜市夜の人に渡した小さな折り紙も出している。他にもバッグから出し入れした物はあった。

家にスマホを取りに戻らず、夕方の帰宅まで大丈夫じゃないか?とも思った。
が、スマホがない不便さによる、時間ロス見込みの方が大きかった。

明るい時間に、ゆっくり過ごしたい場所へ向かう予定だった。
暗くなるのが、いちばん早い時季。目的地での時間を多く確保するには、ロスタイムは少なくしたかった。時間の予約はなかったが。

家に戻ると決めた頃には、子どもが夫を見つけてくれたので、慌てて帰宅することにした。
夕方までそのまま外出、という話も、さっさと否定される展開。
こんなに酷い状態で、夕方まで無事に外出していられるのか、先行き不安をはっきりと感じた。

そんな自分のことはさておき、クリスマスマーケット会場は良い日になることを祈りつつ、会場を離れた。

上の写真にある、千夜市夜のロゴの背景が青いのは、青空を映しているから。
折り畳み傘も迷わず持たなかったくらい、朝から穏やかな晴れの日だった。
スマホも持って出なかった、というのは問題ある感じだったが。

自分については、どうなるかと心配した一日だったが、穏やかな夕暮れを迎えた。
帰りの電車の中で、太陽の痕跡を感じない暗さの夜を迎えた。

クリスマスマーケットも、心地良い盛況だったと良いなと思う。
うちとしては、お買い物に繋がらならなかったが、個性的な品揃えでお店が並ぶマーケットは楽しい。面白い本屋さんの多さは、いつも新鮮。

今年も心から楽しませていただいた。


「小さな折り紙」おまけのお話

千夜市夜の人を見つけられたら渡してみようか、と思い、折ってあった小さな折り紙。DIC川村記念美術館へ行ってから、自分用にいくつか折った形。

先日は友人たちに、お歳暮気分で折り、小さなお菓子と一緒に渡した。昨日のも、同じ気分で準備してあった。比較的最近の工作なので、折り方やコツは、まだ忘れていなかった。

とはいえ、このサイズは、どれも上手く折れていない。小さく作るよりも、大きく作る方が簡単なのではないだろうか。近いうちに、家にあるロール紙で折ってみようか、と思っていたりもする。

小さな折り紙には、よじれるようなテンションがかかり、予定した形に仕上がらない。後から折り目を修正するのは手間。仕上がりも悪くなる。

DIC川村記念美術館へ行ってからの思いつき工作。
だが、行ったその日に一つ作ったところで…
友だちが折ったのをもらった、というような話で、子どもが昔、学校から持ち帰ったのと同じ形ではないのか、と気づいた。

子どもに尋ねると、記憶にないようだったのだが。
いろいろと遅れている子どもなので、まともに折り紙が成り立たない年頃に、周囲のお友だちから、よく作品をいただきものしていた頃の話。

子どもにとっては、毎日のようにいただいていた折り紙の一つ、ということで、特別な印象にならなかったのだろう。

私も、またお友だちが作ってくれたんだな、と思う日が続いていた中… 

「この高度な折り紙は何?」と、気になったものがあった。
とてもキレイな形が目を引いた。
私が「これはママじゃ折れないよ」「曲がるところで凸凹が反対になってる」というような話を、子どもにした記憶も最近になって戻ってきた。

それは、私のと同じ形ではなかったのか。

私が作ると下手だが、子どもの工作でも面白く魅力的だったくらい。千夜市夜の人の仕事柄なら、テキトーに面白いんじゃないのか、と思い、また一つ作ってあった。

そんな準備はしたものの、その人を見かけて気づける気は、あまりしていなかった。が、どうにか気づけたらしく渡せた、小さな折り紙。

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