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小さくいろいろと思った

先日、PTAに関わる最終日があった。
関わると言っても、お世話になった人たちが慌ただしくしている中、タイミングを計って、一言お礼できれば充分なだけの日。
私としてはそれ以上の用はなく、フリーな立場でできることが、そばにあればするだけ、という感じだった。

そんな小さな用事も全て終わり、帰りかけた頃。
ふと見回して視界に入ったのは、既にお礼も伝え終えた、とてもとてもお世話になった人。
ぱっと見でも、一人で、明らかに何かを探している様子なのが引っかかった。何か、というより、誰かなのだろうと思いつつ、すぐにその人の方へ向かった。

真っ直ぐに向かいながら思ったのは…
その人の、かなり近くに人が多いのに、近くの人たちに尋ねないのか?
そばの人たちは、何か探してる様子はわかるはずなのに、どうしたんですか、とか誰も言わないのか?

その人に気づかれないまま、小さな違和感を持ちながらそばに到着した私は、「大丈夫ですか?」と言ってみた。
冬眠モードが抜けないボケボケな私でも即答できる、簡単な質問を一言されて驚いた。私も簡単に一言で答えて終了した。
その人は、多くの人がいた中の、一つのグループに合流する用があったらしいが、そのグループを見つけられなかっただけだった。

そのときは。手伝えたなら良かった、と何となく思っただけだった。
が、後でいろいろ思い出した。
この展開は初めてではなかった。
何となく思い出した範囲でも2回はあった。

何年前になるのか、思い出した範囲の私は、合流するはずのその人が来ないな、と待っているグループにいた。
当時もその人は、いろいろな意味でキーパーソンだった。きっと誰かと相談など用事中だろう。と、私だけではなく、他の人も思いつつ待っていた。

「来ないね」と噂され、しばらく経ってから現れたその人は、どこだかわからなかった、近くにはいた、というようなことを言ったので呆気にとられた。そんな簡単なことに困る人ではないでしょう、と。

その人は、いろいろなことを簡単に軽やかに進めていける人だった。なので、真面目な発言か悩んだのは、私だけではなかっただろう。
ただその人は、いろいろなグループに近づいて耳をそばだてては、ここじゃないみたい、と真面目に悩んだ話をしていた。

待つのではなく「迎えに行けば良かったね」と言った人もいた。

きっと2回目のそんなことの後だったのだろうが、困っているなら呼べば良いのでは、という話にもなった。その人の声は通る。

その人は、グループ名を大きな声で呼んでみた結果、よろしくお願いします、など、最近、話したばかりの相手のそばだと申し訳ない、という話をしていた。

私は、名前を呼んでくださいと言った。呼んでみた結果、実は目の前にいても怒らないと。他の人からも、「私も怒らない」という言葉が出てきた。その後、呼べば簡単に済んだことも実際にあった。

そんな古い記憶を思い出してみると。
先日のその人は、過去もそんな風に、近くで真面目に迷子になっていたのか、と理解できた。

頭の良いその人が、そんな簡単なことに困っていると思わず、気づいても誰も声をかけない。
その人の方も、間違えた場合の失礼さを考えて、声をかけられないのだろう。もし私が間違えても、ボケててごめんなさい、くらいで済むところが、済まないということ。

頭が良ければストレスが減るとは思っていない。
が、何だかすごいその人は、何だかよくわからないところで困っていたりするんだな、と少し可笑しい気分もあった。しかもそれは、忘れた頃にも繰り返されるほどに、苦手ということではないのか。

何だか少し笑ってしまう気分もあるし、どうやって迷子していたのか、見て納得なところもある。

先日は、その人と関わる最後の機会でもあった。

とりあえず。
その人について、「来ないね」と噂されるより前に案内できていたと良いな、と思った。


※ 見出し画像は2023年1月撮影。SHIBUYA SKYでの目[mé]による展覧会場にて。

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