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ワタシの大切なボク-第8話 病院と

 明子姉さんのような看護婦さんがいる医院にはいつからか行かなくなった。
いつかは正確に覚えていないが薬という名のクスリを出してくれなくなった時からからだ。

 お医者さんは薬のようでクスリのようなものだということはよく理解しているのは当然で、クスリを分けてくれる時に口頭ではあったけど、使いすぎるな。
良くなったら使用は止めろ。
と言っていた。
それを守らなかったわけではない。
ちゃんと相手のボスのいうことは聞いていた。あいつがあればどんなに掻いたって数日で治ったから、治ったらもつ塗らないようにしていた。
それで数カ月はもったように思う。
でも、それは症状を抑えている対症療法であって、治ったということとは全然違う。

 その対症療法の薬はステロイドホルモン剤が配合されているもので、ベンジョンソンがやらかしちゃった筋肉増強剤もステロイドホルモン。
そいつはまさに薬ではあるが、ある側面ではクスリであるということを知ったのは、ベンが驚異的な世界記録で金メダルを首に下げたちょっと前、ある意味ではボクもクスリがなければ生きていけないというような禁断症状の兆候が出始めていたときだった。

 塗っては止めるという期間が数カ月だったのが1ヶ月になり、半月になり、1週間になり、保湿クリームのように毎日あいつを使わなければ、ボクの痒みと掻いたことによる出血、痛みは治らないようになっていた。
通っていた医院はボクが幼少だった頃からの付き合いで、母もボクも本当によくしてもらっていた。
野球ばっかりやってるボクの代わりに母が行けばクスリを出してくれていた。
ボクが以前に何度も聞いたクスリ取引の条件は「使いすぎるな」だったから、ボクば聞いてはいないけど挨拶とお金と引き換えに母は毎回それを聞かされていただろう。
でも、目の前で掻いては血を出して顔の見た目も服も汚してる息子に止めろとも言いづらかっただろう。
「無くなっちゃいそうなんだよね。」
と母に伝えれば、忙しい仕事の合間にクスリをもらってきてくれていた。

 その頻度が短くなっていくごとに、さすがにお医者さんも本来は本人を診ずに薬も出せないのに、副作用というリスクが低くはない薬というクスリを出している状況からして、もう本人が来なければ出せない、本人を連れて来い。ということを丁寧に伝えたのだろう。
そして、ボクば母と一緒に久々に慣れ親しんだ医院に行った。

 何もかも、
「はい。わかりました。」
と言って帰ってきたと思う。
不貞腐れての返事じゃない。
どれもちゃんと理解できた。
クスリの危険性、それの使いすぎ、大人になれば必ず治る、だからあまり使うな、野球は考えた方がよい、紫外線は良くない、どんな言葉も優しくわかりやすく伝えてくれた。

 「はい。わかりました。」

 それがあの医院で最後に発した言葉であり、その時もらったクスリが最後の薬だった。
地元のちっちゃな医院。
緑色の合成皮革のスリッパにすっぽりと足が入って引きずるように歩いたとき時から、先っちょしか入らなくて踵は飛び出ちゃってるようになるまで、立派な髭の院長さん、星飛雄馬のお姉さんのように優しく聞いてくれる看護婦さん、ネリネリの看護婦さん。
お世話になったけど、今日が最後だなという感覚がボクにはちゃんとあった。もうここには来ない。
母も行けない。
他の病院であのクスリなのか、それに似たクスリのような薬なのかをもらわなきゃならないなと考えていた。

 いつも塗ってた最後のクスリが無くなった途端に、常にアトピーに狙いを定められてるところの皮膚は皮膚の体をなさなくなるようなことにもなっていった。
目星をつけている病院はあるし母もそこだと思ってる。
目星も何もウチからはあの医院よりも近い地元の総合病院だ。
風邪でも下痢でもなんでも診てくれた医院のお医者さんから待ち時間の長い皮膚科に勤務する医師の誰かに面倒をみてもらうことになる。
クスリが切れて酷い状態で行ったから重度のアトピー性皮膚炎と診断され、塗り薬では物足りなくなってるボクでありボクの皮膚に塗るクスリとともにステロイドホルモンの飲み薬が処方されるようになった。

 久々にあの爽快感とか開放感とかっていう快感を得ることができた。
皮膚から吸収するクスリより、口を介して小腸から吸収するクスリの威力には驚いたりもしたが、その頻度も量もどんどん増えていき、そのうちにボクば点滴という手法で直接に注射針から血液にステロイドホルモンを注入することまで経験をすることになる。

【目次】
 第1話 巨人の星と
 第2話 イダパンと
 第3話 口裂け女と
 第4話 弟と
 第5話 兄と
 第6話 7人家族と
 第7話 高校野球と
 第8話 病院と
 第9話 アトピーと
 第10話 先生と

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