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ワタシの大切なボク-第10話 先生と

 ボクばベッドに寝ている。

 あれ?ここどこだっけ?そんな目覚めだったから、よく寝ていたのだろう。
左には真っ白な壁、右にはクリーム色のカーテンが見える。
カーテンの向こうは見えないけど慌ただしく人が歩く音が聞こえる。
聴き慣れた音だった。

 自分の居所を理解すると同時に、寝てしまう前までは煮えたぎる血液に全身が支配されているかのように感じていたのに、寝起きの今は血液は赤色でさえなくなって清流のようにして透き通り、身体を緩やかに鎮めてくれているようで驚く。
点滴とやらで血液に直接ってのは半端ないということを理解をした。

 聞き慣れたナースシューズの足音は看護師さんによって違う。
ナースシューズは形状も色も同じようでよく見ると少しづつ違うし、歩き方によっても様々だ。引きずるように歩く人、必要以上に音がでかい人、歩くテンポが速い人。
聞き慣れた音ではあるけど意識なんかはしたことなかったから、人によって違うのは面白い。
この音はあの人だな?なんて解答のわからない遊びをする余裕も出てきたときに、庄司先生がカーテンを開けて、穏やかだ顔でボクを見つめた。
この角度で先生を見上げるのは初めての経験だった。

 「どうしてそんなことしたの?ーー、大変なことになっちゃって、」

 怒ってるような悲しんでるような庄司先生がいる。
もう5年ほどお世話になってる。ボクはいつもの回転する小さな椅子に座り、先生はいつもの背もたれがある椅子に座っている。
でも、ボクの顔だけはいつもの状況と全然違うから、先生の表情もいつもと違う。先生は今一度手を洗った後に、見慣れたチューブから薬を素手にドボドボ取って、ボクの顔だけどボクの皮膚ではないような状態の顔に、手袋もつけないご自身の手で労わるように優しく優しく塗った。
その手があまりにも優しくて、泣きそうになった。
先生のこの優しさを裏切ったように感じたからだった。

 ステロイドはやめた方が良い。
そういろんな人に言われ続けた。
薬の作用や副作用だけをテレビや本なんかで知ってる人にボクのこの辛さなんてわかるはずがない。この人はこれで治ったって聞いたよ。
試しにあげるから使ってみなよ。という商品をたくさんもらった。
でも、どれも使わなかった、ステロイドを使いながら、それをやってもその商品の効果はわからないし、どっかで信用もしてなかった。
でも、そういうほとんどの人が本当にボクを心配してくれて言ってくれていることはちゃんと受け止めてはいた。
だからだ、約1ヶ月前には、ある人から5時間にもわたって説教のような話を聞いて数万円の支払いをしてウーロン茶の風呂にも毎日浸かるという方法にも取り組んだ。
庄司先生ではなく、その人に賭けたのは全部ボクの決断だった。
それはそれで良かったとか、間違いだとか、全然そんなことを感じさせない先生の手から感じる温もりと優しい手の質感は、ただただ「大変だったね。」と怒ったところは無くなって悲しそうにボクを労ってくれている。
ボクは先生を裏切ったのに。

 泣きそうになった。

 「これじゃ、人とも会いたくなかったでしょ?」

 と先生は言って、ステロイドの点滴を看護師さんに指示をした。
あまりに図星な質問だったから何も答えなかった。
答えたら泣きそうの範疇を超えてしまいそうだったのもあれば、同時にこの点滴をすれば、この約2ヶ月のリバウンドの苦しみから抜けて、ごく普通という状態に戻れるんだと追手の来ない安全な場所に逃げ込んだような安堵感とかも混じってたからだと思う。
クスリによる爽快とか開放感とか快感とか、そんなものはどうでも良かった。
「ごく普通」という状態が欲しくて仕方なかったし、それは普通なんだけど格別なんだと考えたりもしてたし、それは結局、庄司先生にお世話になるようになってから、先生が処方する薬によって、ボクはごく普通な生活を送らせてもらっていたんだという風にも思うにはもう充分だった。
当たり前なんかじゃなかったそのごく普通によって積み重ねてきた人と人のつながりこそが、ボクの全てというか財産というか生きるってことなんじゃないか?そう自分で仮定してみたら、心はびっくりするほど安心して力が抜けた。

 カーテンを開けた庄司先生がホグの顔を見つめた後、点滴の残りの量を確認し、ボクの顔の横にしゃがんで言った。

 「あんまり点滴とかはしたくなかったんだけど、ひとまずこれで良くしてから、来週また来てもらって、この後どう治療していくか一緒に考えようね。」

 ウーロン茶の風呂は止めた。
ステロイドの量を減らしてみたり、ほかの薬を試してみたりしながら、ボクはアトピーと先生と付き合って行った。

 定年退職を迎えられた先生は、その総合病院にはもういない。
ボクが与えられたステロイドの量はある医師やら5時間にたって説教をしてくれた人には褒められたもんじゃないどころか、先生を犯人扱いをするかもしれない。
そしてその後、確かにいろんな副作用と思われる病気にもなったのも間違いはない。

 でも、ボクは庄司先生に感謝している。そういうことで格好つけてるわけでもないし、強がりなんかでもなんでもない。誰かは不正解だと言うならその犯人はボクだし、そもそも正解なんてのは誰かに決めてもらうわけでもなく自分で決めるものなはずだから、間違ったことも含めてボクは正解だったと決めている。だから、犯人なんていない。特にステロイドホルモンという奴はボクの悪友でもあり親友だったのかもしれない。教えて欲しくないことや与えて欲しくないことも、無理くりに教えて与えられて強くなった気はする。それを理解させてくれたのはあの庄司先生の優しさであり、家族の支えがあったからだと言える。

 正解を決めるのは自分だけど、その過程には自分の力だけではどうにもならないことがある。ボクは先生ではないけれど、先生のようになりたいと思っている。

 ボクってのはそろそろやめる。

 私でもなく、わたしもなんかしっくりこないから、ワタシにする。

 これからワタシは、ワタシの中の大切なボクとともにワタシらしく生きてみることにする。

【目次】
 第1話 巨人の星と
 第2話 イダパンと
 第3話 口裂け女と
 第4話 弟と
 第5話 兄と
 第6話 7人家族と
 第7話 高校野球と
 第8話 病院と
 第9話 アトピーと
 第10話 先生と

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