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迷える数学学徒&物理学学徒たちに、そっと耳うちしてあげる本を

幼い頃、数理物理の方面に進みたかったこともあって、作用素論には今でも心惹かれます。ちなみにこの本で独習しました。懐かしいです。十代のとき地元の県図書館(今は移転して影も形もない)にこのシリーズが、全10巻揃っていたどうか覚えていませんがとにかく書棚に並んでいて…


これが最終巻です。今でも読み返しています。


高校で習うツーバイツーの行列の話題から始まって、固有値、固有ベクトルの話に進んで、それぞれ複素数が混じってくることを例示しつつ、複素数と行列の切っても切れない関係をあぶりだしていく、そういう論の進め方をしています。

別にこれはこれでいいのです。しかし数学史の視点でいわせてもらうと

行列 ⇒ 無限行列 ⇒ 積分方程式 ⇒ 作用素 (✖)

まるでこんな風に研究が進んでいったかのように思い込まされてしまうのです。

本当は違うのですよ。

そもそも私は数学ではなく物理学(というか力学)の世界から作用素論に迷い込んできた迷える子羊さんでした。もとが物理畑だったので、いわゆる「弦論争」(オイラーやダランベールら当時の天才たちが繰り広げた物理数学論争)について知識があって、それが後世に、どういう風に数学における固有値固有ベクトル作用素論に吸収されていったのか、本書の説明は(いちおう触れてはいますが)話の前後が前後するので分かりにくいのです。


行列は数学史において、もともと本線ではなく、本線が開通してさらに後に設けられたバイパスだって、最初に知っていれば、苦労しなくて済むと、先日ふと思いました。


高校数学で「内積」「ベクトル」「行列」を習いますね。一時期カリキュラムから姿を消してしまったものもこのなかにありますが今は復帰しているようです。チャート式の例題をとにかく解けるように反復練習すれば、とにかく解けるようにはなってしまうので、とにかくはマスターしてしまいます。

ところが大学での数学でこれらを習うと、最初は「ああ高校で習ったのと同じだ~」と余裕こいているうちにどんどん置いてきぼり感覚を味わうわけです。

そういう経験、皆さんありませんでしたか?

小学校算数 ⇒ 中学数学 ⇒ 高校数学 ⇒ 大学入試 の順で学んでいった数学が、本当は数学の発達史には沿っていなくて、文部科学省によってリニアに整えられたものだと、目が覚めるのです。覚めるというか、戸惑う。

たとえば「内積」が20世紀になってから形になったと知ったとき、私は驚きました。

「ベクトル」についても、矢印の組み合わせで図示するやり方はやはり20世紀、それも物理学者によって発案されたものであること、そもそもベクトルは極めて抽象的な数学的概念で、19世紀の研究者でこの世界に踏み進んだせいで狂人となり果てたひと(ハミルトン卿!)や、せっかく本を出しても理解者ほぼゼロでがっかりしてその後数学から言語学に転向してしまった小学校の先生(グラスマン)とか、どえらい苦難の道の果てに、矢印ベクトルでの視覚化が捻りだされたのです。

これですと小学生でもわかるわかりやすさです。

しかしそれもまた本線開通後、支線として生まれたものなのです。


複素数平面を最初に提示して、そこからだんだん大学数学に入門させていく本は書けないのでしょうか?

複素数はあっても複素数の複素数はないし複素数の複素数の複素数はないし複素数の複素数の複素数の[以下 n→∞ でリフレイン]もないことは、ガウスが示したとおりです。

つまり数の世界は複素数が最下層であり岩盤であります。

複素数平面は、見ればどなたも直観的にわかることですがベクトルと極めて相性がいいです。

ベクトルというか線型性ですね。線型性に内積や距離やノルムが加わると、高校数学で習う水準のベクトル空間になるという。

行列はベクトル空間と地続きである、ということは複素数とはコインの表裏関係にあります。

積分方程式がベクトルと関りが深い、つまり行列と関りが深いことは20世紀になってはっきりしていって…

いっぽうで物理学のほうで、原子の電子軌道を行列で説明するというアイディアが提唱され、行列が絡むとともに複素数が絡みだして、旧来の力学を超越した領域に進んでいきました。

波動力学と行列力学の衝突と、等価性の議論を生み…

ノイマンによってヒルベルト空間論が提唱され、ようやく数学と物理学が現代の数理物理的同一地平に置かれたわけです。

ただ、くだんの観測者問題を抱えてしまいました。

情報理論を使うとあっさり説明できてしまうことが現在はわかっていますが、当時はそこまで誰も頭がまわりませんでした。

サイコロのどの目がでるか、確率はそれぞれ 1/6 で、いざふれば確率は1に収束するのを不思議に思う人はいませんよね? しかし当時は誰もそこまで頭がまわらず、コペンハーゲン解釈とか多世界解釈とかボーム解釈とか自我の認識の問題だとか、面倒な哲学的議論に引きずり込まれてしまいました。

ボーム解釈の図示。なんかかっこいい


前から数学と物理学の指南書を書き下ろしてみたいと、うだうだ夢をつぶやいてきました。教科書ではなく学生さん向けにコツをそっと耳打ちしてあげるような本を。

どういう構成にするといいのかな…

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