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コロナ禍で垣間見えたフードバンクの実態

背景

 私が大学1年生の頃は、丁度コロナ禍真っただ中だった。あの頃、想像していたキャンパスライフとはかけ離れ過ぎていて納得いかない大学生活を過ごすことになった人も多いのではないだろうか。私もその一人であった。とりあえず何かしたい、この期間がもったいない、何ができるのだろうかを考える日々であった。
 そんな中出会ったのが「フードバンク」である。フードバンクとは食品ロス問題を解決するためのNPO法人として注目されている団体である。ここでは地域の方々から廃棄される予定だった食品を集め、食料を必要としている困窮者世帯の方へ食品を届ける活動をしている。コロナ禍での一人暮らしを始めた私にとって、食に対して自ら関わることが増えたこともあり、食に対する意識変容や関わり方を学ぶ絶好の機会であると考えた。

実態

 農林水産省によれば、日本において令和3年度時点で約523万tもの食品ロスが発生している。国民一人当たり一日茶碗1杯分のご飯を毎日捨てているという計算になる。皆さんはこれを知ってどう思うのだろうか。フードバンクでは、このような問題を身近な地域からの視点を持ち改善に向けて取り組んでいる。  
 しかし、実際に活動してみると実態は大きく違っていた。フードバンクでの活動は地域の食品ロス問題解決の窓口になるのは勿論ではあるが、それ以上に驚いたのがコロナ禍による退職や減給処分などの影響で困窮した方が、近所や親戚、自治体にも頼ることができず、藁にも縋るつもりで食品を求める人々の叫びの声であった。フードバンクから食品を寄付を受けるまでの流れとしては、基本的に社会協議福祉会などを通して生活保護を受ける世帯を中心にその世帯のニーズに合わせた食品を寄付するのが主である。しかし、コロナ禍当時はフードバンクへ食品の提供を求める直接な個人電話が殺到していたのである。今すぐにでも支援をしてあげたい、食品を届けたいと思った。しかし実際のところ中々そうはいかないのが現実であった。NPO法人は自治体や企業とは違うため、個人で電話をしてくだった方の個人データを所持することができない。つまり、食品を求めて直接電話をしてくださった方々が本当に食料に困っているのかを証明することができないため、食品を寄付することが難しいのである。渡したい気持ちは職員、ボランティアスタッフ一同勿論のことあるのだが、仕組み制度上叶わないのである。もちろん社会協議福祉会などの自治体への連絡を勧めはするのだが、自分の目の前に食に困っている人がいて、目の前に渡せる食品があるのにも関わらず、何もできない自分に大きなもどかしさを感じることとなった。

学び

 約半年に及ぶ活動の末、食品ロス問題を直接現場の声を聞きながら学んできた。その中でも一番心に残ったのが、以前食品を寄付したご家族からの感謝の手紙に書いてあった言葉であった。「公共料金の支払い、子供たちの学習道具をそろえることでいっぱいいっぱいで食に回せる費用も少なく、フードバンクを利用することができて本当に嬉しかったです。」という文である。もちろんこのように感謝のお言葉を頂き、活動をしていて単純に嬉しかったし、やりがいも大いに感じた。しかし、気になったのは前文である。生活していくうえで食べていくことが一番大切であることはだれでも当たり前のことであるのにも関わらず、その食生活を疎かにしてしまうほどの現代社会の諸問題というのを痛感することになった。

最後に

 今現在何不自由なく、ご飯を食べ、親からの仕送りも貰い、学校終わりには大好きなラーメンを食べに行く自分が存在する一方で、毎日食べていくことに必死な人も身近に存在していること、しかもそれは外から見ても気づかないことを私たちは知るべきであり、食品ロス問題に限らず現代における社会問題は、社会問題としてではなく自分自身の身近に存在する地域問題であることを我々は一層理解し危機感を持たなければならない。
そして、フードバンクでの活動をきっかけに私は学生の食品ロス問題の意識変容をテーマに卒業論文を執筆した。




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