選択の帰結 -悲劇あるいは希望-

今個人的に激推ししたいアニメが、今期からやってる『Vivy -Fluorite eye's song-』である。原作はReゼロの長月達平が、制作は最近だと進撃のファイナルシーズン前までを担ったWit Studioだ。
一応ジャンルとしては、軽めのSF近未来ものといった感じだが、個人的にReゼロと共通するメッセージみたいなものを感じたので、記しておく。

Reゼロの原作未読で語るのも烏滸がましい気もするが、あまり気にしない。
もちろん読みたいという思いはある。

Reゼロは異世界転生もので、そもそもがVivyと設定が似ていなくもない。(タイムリープも出てくるし)
ただ一つ根本的に違うのが、Vivyでは「選択のやり直しが効かない」ということである。ナツキスバル(Reゼロの主人公)は何か誤った選択をした時に「死に戻り」という自傷行為により、ターニングポイントに戻ることができる(その「死に戻り」が結構いいスパイスだったりする)
対して、Vivyも確かに未来の情報を持っているという意味では、選択に係る影響をなるべく良いものにするよう働きかけることができる。
しかし、「やり直す」ことはできない。

我々は得てして、「あぁ、あの時こうしていれば」と反実仮想をするが、仮に考えられる全ての選択肢を与えられたとして、それを上手く活用し、望んだ結果を得ることができるのだろうか。

こんな言葉もある。
「ゲームのように1つ前のセーブデータに戻って、選択肢を選びなせたとしたら人生は変わるのだろうか答えは否である」

作中でナツキスバルもVivyも「最適解と思われる選択をするのだが、それでもやはりこぼれてしまうものがあり、結果的には結末をなんらかの形で引き受けなければならない」

「引き受ける」とは何か。

前者にとってそれは「苦境に立っても近しい者を愛し、守ること」であり、後者にとっては「自らの使命に準じて生きること」なのかもしれない。

全然まとまらないが、要するに「事の顛末を引き受けて、それでも前に進むこと。」
これは一つテーマとして持っていても良さそうだ。

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