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環境が整うと、身体と心も整うのかもしれないと思った。

病気を最後に悪化させてから、3年が経った。

去年は様子見で薬の量を減らすことができなかったが、症状が良い意味で平行線なので、ステロイドを1mg減らしてもらうことができた。

それぐらい、ここ数年は病状が安定している。


そして、この家に引っ越してきてから1年が経つ。
そう思うと、ようやく"落ち着く"ことができたのだな、と実感した。


何せ、19の時に実家を飛び出してから激動の人生を過ごしていたので、"落ち着く"ということができなかったのだ。




19の時に家を飛び出して、住み着いた先はシェアハウス。
光熱費込みの安い賃料に飛びつき、とりあえずの住処となったそこは、当然ながら赤の他人と暮らすことでのストレスを与えることになった。

そして、営業・接待で溜まり切った疲労と共に、わたしの病気を悪化させてしまった。


病気が悪化したわたしは入院することになり、シェアハウスは解約して実家に戻されることに。

それでもやはり折り合いがつかず、父の助言の通り実家の近くに家を借りることになった。


ここにも書いた通り、最初の方こそ楽しかった。
自分の城を、自らの手で築き上げてくのだ。楽しくないわけがない。


しかし、この時期は会社間の異動・退職、またも入院することになり、知人からのマルチ被害や再就職先を失うなどトラブル続きだった。

そんなこんなで生活保護を受けながらも再就職するなど、家どころか職も安定して就くことができなかったのだ。


再就職後しばらくして、彼と出会い付き合うことになって、お互いの家を行き来しているうちに、一緒に住んでいるような感じになっていた。


でも、そうこうしているうちに、また持病が悪化する。

今考えると、持病を抱えながら往復3時間を通勤し、帰宅後は家事や炊事をこなしてくたくたになりながら早起きする生活を送っていたら、そりゃ身体壊すよな、と反省している。


持病が悪化してからは、彼があまりにも心配するので、彼の家に完全に住むようになった。
半年間は諸事情で自分の家を手放すことができなかったが、半年後に解約して彼の家に住民票を移して引っ越すことに。


とはいうものの、彼の家も一人暮らし用の家のため、二人で住むには手狭だったことから、また半年後ぐらいに引っ越すことになった。

二人で探した家は、結構急いで探したこともあり、あまり気にいった物件ではなかった。住んでるうちに様々な不満点が重なり、次の住処を探すことになる。

この間、虫垂炎を再発させたり、耳瘻孔が悪化するなど小さな病気はあったが、持病自体は悪化せず。コロナ禍で前の職場といろいろもめたり、仕事のことで悩んだけれど、なんとか持ちこたえた。


そして、わたしは働き方としてフリーランスを選び、次の住処を見つけた。

ライターから動画編集者に転身するなど、相変わらず職の面では安定していないが、住所は安定した。今まで頻繁に住所変更をしていたが、これで役所の人も一安心だろう。




と、まぁ長々と書いたけれど、大体怒涛の人生を送ってきたことは伝わったのではないかと思う。正直、全部読まなくて大丈夫。

ただ一つ言えることは、彼と一緒に暮らし始めてから病気が悪化しなくなったということ。


彼に頼りすぎている部分はあるだろうけれど、お金の面や家事・お出かけなどの面でかなりわたしの負担を軽減してくれている。

彼と一緒に暮らしていることで、フリーランスという働き方を選ぶことができたし、在宅で仕事することができた。

通勤時のストレスや疲労、紫外線を浴びなくてもいいということも悪化しない要因にはなったと思うけれど、精神的な安心感ってとっても大事だなと実感した。


そして、環境が整うと、身体と心も整うのかもしれないと思った。
まぁ、当たり前と言えば当たり前なのだけれど。

職と暮らしという生活基盤を整えたことで、身体と心の安定を図ることができていると思う。


この先どうなるかはわからないけれど、この調子で病気を忘れて過ごすことができたらいいな。

これからも"落ち着いた"暮らしができるよう、二人で助け合いながらこの暮らしを続けていきたい。

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