見出し画像

遠い、記憶の先で。

ふわり、カーテンが揺れる。生ぬるい空気と痒くなる目元に、春の訪れを感じられた。

午前の仕事を終えた私は、日差しが差し込むソファの上でゆっくり、入れたばかりのハーブティを傾ける。暖かな液体が喉を伝う感覚を、丁寧に味わった。


ふと、今住んでいるところの近くに、昔少しだけ住んでいたことを思い出す。
小さな庭がついた賃貸住宅。細かい砂利が敷き詰められた遊び場で、ざくざくと地面を掘り起こしていたら、ふと柵の向こうにも自分と同じぐらいの歳の男の子が遊んでいることに気がついた。


じーっと眺めていると、男の子も自分のことに気がつく。男の子はととと…と柵に近づき、にっこりと笑った。


「いっしょにあそぼ!!」


はじめてのお友達に、自然と笑みが溢れる。力強く頷いた。

それから、柵越しにお互いの山づくりが始まった。二人だけの物語が広がり、一人で遊んでいた時とは違い、あっという間に日が暮れる。

別れるのは名残惜しかったが、家は隣同士。すぐ、また遊べるだろう。


「またあそぼうね!!」


柵越しに、小さな小指同士を絡ませて指切りをする。


「うそついたらはりせんぼんだよ!」


「じゃあぼくはいちおくほんだし!!!」


にっと笑い合い、それぞれの家に帰る。
それからは、私達の仲を知った向こうのお母さんの計らいもあり、お互いの庭を行き来する生活が始まった。


私達の当時の年齢は、幼稚園に行く前の準備期間のあたり。「年少さん」になるための、お友達づくりの良い練習になっただろう。
「年少さん」になるまえの、お試し入園クラスでも一緒になり、当然のように同じ幼稚園で「年少さん」になれると思っていた。


だが、皮肉なことにも、私の父の事業の関係で引っ越しをすることになってしまった。

引っ越しのことを告げると、相手のお母さんも彼もとても寂しそうにした。
最後の日は、寂しさを紛らわせるよう、時間ギリギリまで彼と庭で遊んだ。


「……どこにひっこすの?」


「おじいちゃんのいえ……」


「そこってとおい?」


しばし考え、頷く。彼は悲しそうな顔をした。


「いっしょのようちえんにいけないね……」


その一言に急に悲しくなって、視界が濡れるのを感じた。彼も私も、砂利の庭でわんわんと泣いた。

そんな二人を慰めるように、ふわり、ふわりと桃色の雪が私達の背を撫でていく。


お互いの母親も、庭の様子を見てやるせないような、寂しそうな顔をしていた。


別れ際に見た、目を真っ赤にして泣きはらした彼の顔を、今でも忘れることはない。


「またあそぼうね!!ぜったいだよ!!!」


叶うわけもない、最後の約束をした。小さな手で、指切りを力強くする。


別れを惜しむ私達を見て、父はバツが悪そうにしながら車に乗るように促す。しぶしぶ乗り込んだ車は無慈悲に発車し、どんどん彼から遠ざかっていく。家も彼も、みるみる小さくなっていった。


「ばいばーーーーい!!!げんきでねーーーー!!!!!」


街中に響き渡るような大声で、彼が叫ぶ。
小さな身体で、引きちぎれんばかりに手を振っていた。私も、溢れる涙を堪えながら、車体が揺れるぐらい大きく手を振り返した。
お互いの姿が見えなくなるまで、ずっと、ずっと。


それから、彼に会うことは、一度もなかった。



彼の名前も顔も、正直覚えていない。
ただ、一時期今の住居の近くに住んでいたこと、そして隣の家の男の子と仲良くなったことだけは覚えていた。

先日、家の整理をしていたときに、通っていた幼稚園のものではない、正体不明の名札が出てきたので母に電話をすると、当時のことを懐かしそうに話してくれたのもあってか、このことが思い出されたようだ。


彼は今、どんな大人になっているのだろうか。
そんなことを思い出しながら、遠い記憶の先にいる、彼のしあわせを密かに願う。


ひらひら、ひらひらと舞う桃色の雪が、優しく私達の背後を撫でるあの日を、瞼の裏で静かに思い出していた。

春はもう、すぐそこに。




今回は、こちらの企画に参加させていただいております。




<<追伸>>

みなさまより、素敵なお返しをたくさんいただいていながら、ろくにお礼が言えずに申し訳ございません。心身上の都合により、SNSを使えていない現状です。

ここで紹介させていただき、お礼とさせてください。

感性の繋がり合いができ、とてもうれしく思っております。ありがとうございました。



この記事が参加している募集

スキしてみて

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?