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『ゴジラ-1.0』の4DXを観たけど途中で帰っちゃった理由を述べよ

集中できなかったからです!

※本記事で映画の情景は少し説明しますが、ストーリーのネタバレはありません。


なんか好評だよね

昨年の12月上旬に観に行きました。
しかも普通の上映ではなく4DX。4DXを観るのは初めてです。

ご存じですか4DX。映画の場面に合わせて、椅子が振動したり風が吹いたりするやつです。
公式によると、

劇中のシーンにシンクロしたリアルな刺激があなたを直撃!その圧倒的な臨場感は、これまでの映画とはまったく次元が異なります。

109シネマズの公式サイトより引用

「次元が異なる」なんて言われたら、誰でも「一回ぐらい体験してみようかな」ってなるわけです。私は今回なったわけです。

映画館に入ると、明らかに通常とは違うメカニカルな座席がずらり。
座面は床と一体化していて、下に荷物を入れるスペースがありません。ここにどんな機構カラクリが仕込まれているのやら。こいつ動く気満々です。

映画泥棒が捕まり、東宝のロゴが消え、いよいよ本編がスタート!

さっそく本性を現した4DX!
船上の場面では座席が揺れる!
銃撃と同時にフラッシュが明滅! 
ゴジラが歩けば地鳴りと共に椅子が震える! 咆哮すれば風が吹きつける!

まさに、劇中のシーンにシンクロしたリアルな刺激が私を直撃!
その全てが、

「全否定かよ」「じゃあなんで4DXにしたんだ」
誰に言われずとも自分で自分をツッコみます。

上映開始から間もなく私が味わったのは臨場感でも没入感でもなく、違和感でした。
確かに劇中のシーンとシンクロしてはいる。けどなんか違う。
座席の振動や傾き、突風や光といった仕掛けがプラスに作用しておらず、むしろ「鑑賞のジャマ」としか思えない。

この違和感はどこから来るのか。ただ揺さぶられるのが身体的に不快だ、ってわけじゃないと思うんです。
ゴジラと4DXの挟み撃ちを浴びながら考えてみました。

俺はそこには居ない

たとえば、ゲーム。ゲームあるじゃないですか。
ゲームのキャラが攻撃を食らうとコントローラーが振動する、っていうギミックよくあるじゃないですか。あれはわかるんですよ。

ゲームの場合は、自分はどれかのキャラを操作している。つまりゲーム内に自分の分身が居るわけです。
その分身が受けた衝撃をプレイヤーにもおすそ分けすることで、まるでプレイヤーがゲームの世界に居るかのような錯覚をもたらそう、って寸法でしょ。それは納得いくんです。

だけど映画は違う。
映画を観ている私は、映画の中の誰でもないんです。監督や出演者、そして制作スタッフが生み出した物語を、画面一枚隔てた空間から眺める傍観者に過ぎないんです。


私はただの傍観者

だって、映画の登場人物って操作できないじゃないですか。
「座席に付いてるAボタンを押すとスクリーンの神木隆之介がジャンプします」なんて映画無いでしょ? もしあったら直ちに観に行きますよ。神木さんにゴジラの背中を壁蹴りジャンプで登らせますよ。

ゲームと違って、私は映画の世界には全く介入できない。
それなのに刺激だけ一方的に与えられる。この状況がどーしても受容できないんです。神木さんが突き飛ばされた衝撃を私が疑似体験できたとしても、私は神木さんじゃないから何もできないんです。

フル稼働する4DXに全身を揉まれながら、それでも『ゴジラ-1.0』を引き続き観賞します。
しかし、拭い去れない違和感が徐々に苦痛へと姿を変え、本編の半分(約60分)あたりで限界が来ました。もう観てられん。

高い料金も顧みず、映画館を退出してしまいました。

どうすれば楽しめるの?

もちろん、世の中には4DXを心底エンジョイしている方々もいるわけで、各種レビューサイトには高評価があふれています。

だけど聞きたい。
4DXを賞賛している人、特に「臨場感」や「没入感」といった観点で推している人は、自分を映画の中の誰だと思ってるの?
まさか神木さん? あなた神木さんになれるの?

一度体験したもののギブアップした私には、4DXを楽しめる人の感覚が全く想像できない。別に4DX大好き勢と論争したいわけじゃなくて、ただただわからないんです。どういう心構えでいればあれを堪能できるのか。

少なくとも、私は4DXに向いてない。これははっきりしました。
まあ、「結果はどうなるかわからないけど、一回ぐらい試してみる」活動の一環なので、後悔は無いです。

後日

年が明けてから、普通の上映で『ゴジラ-1.0』を観ました。最後まで。
良かったです。


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