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「銀河鉄道の父」、利他主義と宇宙

役所広司氏、菅田将暉氏が、父とその子、宮澤賢治として向き合う。
賢治が終生慈しんだ妹を、森七菜さんが演じる。
そして「八日目の蝉」の成島出氏がメガホンを取る。
期待しない方が難しい作品だが、予想をはるかに上回っていた。

とにかく、物語の器が大きかった。

聖人としての宮澤賢治、(欲望に基づいた人間の経済活動という見地から言えば)だめんずの宮澤賢治、その間にある、私のような凡人には到底理解できない(また理解できなくても作品に感動する心からは何も引かれない)、宮澤賢治の、いわば利他主義とも言えるものに、この映画はまともに向き合っている。

利他主義に触れようとする時、物語は通常の人間のエゴイズムに基づいた範囲を越え、宇宙的なひろがりを見せる。

先祖からの宗派を捨て、日蓮聖人の教えを信じ、気が触れたと民に恐れられるほど太鼓を叩きつけ念仏を唱え続ける賢治の姿は、パンクロッカーよりもはるかに過激であり、理解できるようなものではない。

しかし、理解不能な利他主義こそが、賢治の時代から今もなお緊急の課題であり、この先宇宙を架空ではなく現実として捉える者たちには、たった一つの手がかりなのかもしれない。
そろそろ、人々の気をひいてそれをいかに利益に変えるか、みたいな事ばかり考えている者では、経済の事柄(つまり瑣末から始まるこの現実)に太刀打ちできないところまで来ている、と人々は感じ始めているのではないか。
宗教家ではなく、アナーキーなまでに人に役に立ちたいと、与える事ばかり考えている「でくのぼう」にしか、宇宙の法則に直接繋がった、人と物の流れに、タッチできないのではないだろうか。

利他主義者、与える者、宮澤賢治は、父から、妹から、そして故郷の自然から、限りなく愛され、与えられた者だったと、この映画から感じる。
また日本がかつて多神的な社会、山には山の神がいて、森には森の神がいるという、日本人ならばきっと、無意識的な記憶の深層に触れてくる何かに、ヒントと言うか、気になる部分がある。

私にそんな、細部に宿る神みたいな事を感じさせてくれたのは、他でもないバイクなのだけれど。

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