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読書ノート 「明恵 夢を生きる」 河合隼雄

 この『明恵 夢を生きる』京都松柏社版を購入したのは、果たしていつのことであっただろうか。昔の創作ノートでは、大学2年生頃にこの本についてのコメントが残っていた。河合の著作を読みだした結構早い時期にあたる。

 筒井康隆から心理学に興味を持ち、フロイト、ユングと変遷するなかで辿り着いたのが河合隼雄であった。当時アンソニー・ストーの『ユング』という本があり、その主観混じりの分かりにくさに閉口していたときに、河合の「ユング心理学入門」を読んだ。元型や集合的無意識などについて、日本人向けのアレンジを施しながら平易な文章で書かれていたことが理解を進め、その後ほぼ全著作を読むきっかけになった。その河合隼雄の著作の中でも、一番影響を受けたのがこの「明恵 夢を生きる」である。

 もともと、夢見がちな少年であった。その慣用句的な意味ではなく、夜寝て見る夢に興味を持っていた。幼年期の記憶にある最初の頃の夢が、「寝ている自分がガバっと覚める、という夢からガバっと覚める、という夢からガバっと覚める…」という、円環の夢であったことが何らかの起点となっているかもしれない。小学校の作文で自分の夢のことを書き、先生から「最近、何か心配事はありませんか」の赤ペンを入れられた。夢日記をつけ、フロイトの夢判断や世界の夢全集などを買ったりした。よく指摘されるような、夢と性的欲望を関連づけるフロイトの分析は、若かりし頃であったとしても、あまり納得がいかず、夢の意味はそれだけではないという気持ちであった。そのあたりも河合の読みと似ている。夢という不思議な世界に、何かこの世の謎が潜んでいるように思っていたのかもしれない。夢日記をつけると、どんどん明晰な夢を見るようになり、挙げ句の果てには夢を操作できるように感じられたりする。褒められた話ではないが、夢の続きを見ようと欲し、実際にそうなることもしばしばあった。

 その私が、昔の日本に、夢を修行に活かしている僧が存在し、それが河合によって考察されている本となれば、狂喜乱舞して読むのは当然のことである。わが師を一度に二人も得た、といったところであろうか。
 創作ノートには、「善妙の章」に触れ、アニマ・マザーと善妙(夢の中・物語の中)のグラフについての見解を写し書きしている。同じことを書く。 

 「日本人にとってはそもそもM軸(mother)の力が強すぎて、A軸(anima)の女性像を持つことが少ないのであるが、A軸の左端の女性であったとしても、安易に右方(身体的接触)への移動を開始するや否や、石化が生じるか、あるいはM軸上での落下が生じ、母なるものの一体化としての性関係になってしまうことが多い。

P.252『明恵における女性像』

 明恵は左端の女性の限りない左への移動、つまり戒を守ることによって、右端への飛躍を成し遂げたのである。女性との肉体的接触を拒否することによって、はじめて女性との真の接触を可能にしたのである。これはなんとも凄いパラドックスである」

 この部分が気に入ったのは、中学時代の片思いの経験などが影響している。禁欲が崇高で純粋な愛情に結びつくとも読み取れることに、少年は親近感を覚えていたのだろう。

 話は逸れるが、日記を見直すと、昔の自分を客観的に見つめ直すことができる(ん、客観的と言い切れる?)。ただほとんどの人は、なんとなく恥ずかしく後ろめたく、積極的にはやらないのではないか。だいたい、日記などというものは、公然とは言えない個人の内心を書くものであり、若気の至りや浅はかさの塊であることが多い。過去の自分のどうしようもなさを追認することが多く、決して楽しい作業ではない。しかし、いいこともある。私の場合、自らが書いた文章以外のコメントや金言が、改めて自分に響くという側面も、ないことはない。
 「明恵 夢を生きる」は自己の確立や日本人の精神的熟成の過程で、参考にすべき部分がまだまだあるように思う。再読すれば青年期とはまた違う発見もあるであろう。今度はもう少しじっくりと読み直してみることとする。


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