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勉強することによって生まれる「弊害」について自分なりに思考を整理してみた。

 こんにちは!たーぼうです。
 
 今回は、勉強することによる弊害について、いろいろ思うことがあり、思考の整理のため、記事にしました。

 大前提として、勉強することは良いことだと思います。知識によって世の中の見方は変わるし、できることも増えます。勉強することで救われる人もいるでしょう。
 
 「もっと勉強しなくちゃ!」と言っている人に、「うわー。こいつ最低だな・・」とは基本的には思わないですよね笑

 しかし、勉強することの弊害もいくつかあると思いますが、その中でも特に思うことについて、これまでの経験の中で思ったことを少し整理したいと思います。


勉強している自分と、していない人を
差別化してしまう確率が上がる



 弊害として私が特に考えているのは、「勉強している自分と、していない人を差別化しやすくなること」です。

 私もタイプ的には、いろんなことを学びたいので、教育に関して有志の勉強会やイベントなどに行くことが多々あります。

 そういった場では、様々な人と出会うことができるし、多くの知見を得ることができます。

 しかし同時に、「自分は他の人よりも、ここに来て学んでいて、すごい!」と考えやすくなり、他者に対して優越感を持ちやすくなることがあります。(私自身も気をつけなきゃなと自戒を込めて、この記事を書いています。)

 勉強会やイベントでは参加者など(時には運営の人からも)から、次のような言葉を聞くことが多々あります。

「ここに来ていない人たちをどうするのかが、課題だよね。」
「ここで学んでいる内容こそが、正しいことだよね。」
「私たちが、変えていかないといけないよね。」
などなど。

 このような言葉を私は何度も聞いてきました。
 
 気持ち的には、わからなくはないです。あの人に届けたいんだけど、あの人は参加してくれない。とかは、あると思いますし。自分が学んだことは正しいと思うことも、心情としては理解できます。

 みなさんはどうですかね? ありますか?

 有志の勉強会などに行くことは、もちろんプラスだとは思います。

 しかし、学ぶことによって、他者と差別化する傾向が強まることも同時に多く生まれているのではないでしょうか?

 人間は「自分は特別だ」と思いたがる生き物です。人間らしいと言えばそれまでですが、こういった認識は、結果として視野を狭くしたり、新しい対立構造を生む可能性があります。

 1つを挙げてみます。

 例えば、同じ職場で働いている以下の3人がいたとします!

こんなイメージ笑


■Aさん:「コミュニケーション」についてめっちゃ勉強している
 仕事をしていく上で、「コミュニケーション」が1番大事と考えています。とても勉強熱心で、コミュニケーションについての勉強会に積極的に参加し、自分でも勉強会を開いたり、遠方のイベントにも参加します。

■Bさん:「ロジカルシンキング」については勉強している
 仕事をしていく上で、「ロジカルシンキング」が1番重要と考えています。勉強熱心で勉強会にも参加します。しかし「コミュニケーション」の勉強会には参加したことがありません。

Cさん:子育て中で忙しい
 家事・育児などが忙しく、勉強会には全く行きません。しかし、育児をする中で、育児本などを読んだりして、コミュニケーションなどについて、自分なりに考えを深めてきました。



 Aさんは、B・Cさんについて、以下のように認識しています。

 ■Bさんの評価
 仕事をする上で、コミュニケーションの勉強会に参加しないので、意識の低い人。

 ■Cさんの評価
 外の勉強会に全く行かない、学ばない人。

 
 学びとは本来、多様で、豊かなものです。

 社会は様々な学びに溢れていますし、どんな学び方をするのかは自由であって良いはずです。
 
 自分が必要だと思うことを学べばいいし、勉強の場は世の中にはたくさんありますよね。Bさんだって、Aさんとジャンルは違えど、自分で勉強会に参加しています。これは素晴らしいことですよね。さらにCさんのように勉強会に参加しなくても、書籍や動画、さらに趣味を通じての学びや、日常の中での気づきなどから学ぶことも多いはずです。Cさんの学びだって、素晴らしいものなはずです。タイミングが合わない。家庭があるから行けない。など、参加したくてもできないことだってあるはずです。

 Aさんのように「自分が参加している勉強会がNo.1だ!ここで学んでいる私は特別な存在だ!他の人とは違うんじゃーい!」という認識だと、そういった様々な事情も考慮しなくなります。Bさん・Cさんからも多くのことを学べそうですが、こんな認識では、きっとそのような機会はないでしょうね〜。(色々話したら、めっちゃ盛り上がりそうですが、残念ですね。)
 
 勉強することは正義と認識されやすいですが、弊害も理解しておかないと、それによって人間関係などで、見えない分断(時に見える分断)を生む可能性があるのではないでしょうか?(職場でふとした言動とかで、そういう態度が見えたりすると、緩やかに分断が生まれていくことは結構あるのではないかと思います。悲しいっすね。)
 
 また、よく有志の勉強会でも職場の愚痴大会になってしまうケースもありますよね。気持ちはわかりますが、度を超えたものや自己の正当化が過ぎる場合は、気持ちがずーんと沈むことがあります。(もちろん愚痴から物事が進むこともあるので、そういったことが言える場や、機会はとても大事なことだとは思います。)

 私も有志の勉強会には行くタイプですが、私が学んだのは世の中の一部であると、相対的に捉え、職場に戻ったときにマウント合戦にならないように気をつけようと思うばかりです。(まぁ人間なので、たまに思ってしまうこともありますが、意識せねばと思っています。)
 
 さて、皆さんはいかがでしょうか?
 このような経験はありませんか?

 よくマンガやドラマなどでも、勉強できる人がプライド高く描かれて、勉強しない人と自分を差別化しているケースが散見されますね(あれもあれでちょっと勉強できる人の固定観念を助長している気がします)。学歴などはわかりやすいケースですが、ここで触れた有志勉強会への参加の有無などで、人を線引するケースも同様に多いのではないかと思います。

 
 ここではあまり触れませんが、他にも弊害は多々あると思います。
  
 頭でっかちになって、行動しなくなるとか、物事を損得勘定で考えやすくなるなどもありそうですね。これも色々追いかけると面白いテーマだなと思います。

 以上、勉強することの弊害についてでした。
 
 勉強することも大事ですが、きちんと立ち止まって考えたり、周りを見たり、他者へのリスペクトを忘れずに生きていきたいなと思います。
 
 この弊害をどう乗り越えていくのか、というのも今後考えたい探究テーマの1つです。ぜひご意見などお待ちしていますー!

 最後まで読んでくれて、ありがとうございました。また思考の整理に書くこともあるので、ご興味あれば読んでください〜!


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