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今を生きたいよね!という話

比較的軽い内容のnoteです。
そして写真部に関して書く、最後のnoteになると思います。

写真部の幹部が今年初めごろ機能しなくなってから、
そもそも何がおかしかったんだっけ?写真部らしさって何だっけ?
というのをずっと考えて、noteに書いてきました。

というのも、会話だけでは流れてしまうので、どうしても文字として記録しておいた方が理解と共有はしやすいなと思ったからです。

2,3年生とは合計100時間くらい話してるような気がします。
4年の幹事長とも早朝のマクドで話した記憶があります。

コレクティフやらアドラーやら、面倒くさくて小難しい話を長々と書いてきましたが、当たり前に思っていることでも出典がないと気が済まないという、自分の悪いところが出ていますね、これは。

同時に「僕の考えた最強の組織」を語っても、言葉と頭で考える限りはダメ。
限界がくるのは分かってるんです。

とはいっても後悔はしていなくて。
あの荒野のような状況から2年生に全てを押し付けるのでは、また混乱と共に友敵図式が再来すると確信していたのです。

だから全部理論立てながら、参考になる程度には点を示したかった。
就活と並行しながら、対話と共にnoteを書き連ねたのはそういう理由でした。

僕がちょくちょく引用する「コレクティフ」は、要点を言えば

みんなが好きなことをすることが、結果的に公共的になる状態

その実現のためには
・不満も含めて言いたいことを直接言える関係になるといいね、それが本当の「心理的安全性」かもしれないね
・でも人間性の否定は悲しいからやめようね
・信頼は個人ではなくその人の「状態」に置こうね
・自分を受け入れられているか?それによって他者も受け入れられるか変わってくるよ

とか、まあ色々あるんですけど。

こういう当たり前の話をするのは、正直にいうと僕も疲れるのです。
でも、当たり前って当たり前じゃないのです。プラトンのイデア界みたいに。

事実、友敵図式を繰り返してきた歴史を、このサークルは一面として持っているようなので。

2年生幹部たちが、結果的に多様性が守られるような写真展を制度化できたのは本当に嬉しかった。できるだけ安心して個人の「好き」を突き詰められる環境だと思いました。

僕が色々とnoteを書く必要性を、やっと感じなくなってきました。

というのも、「僕の考えた最強の組織」みたいなものを、2年生には一旦忘れて、「今」を楽しんでほしいなあと思うのです。

先輩からしっかりした体制を受け継ぐ状況であれば、好きにやって回るけど。
何もない荒野だったから、頭で1から考えるのは大変だったよね。

うまく行く組織案だと思っても、現実では多分いろんな軋轢が生まれてくるよね。
既にそういう話もちらほらと聞こえてきます。

急ピッチで考えざるを得ないほど時間がなく、急な幹部移行だったから仕方がないのだけれど、言葉による理想と現実は必ず合わないところが出てきて、軋轢を生みます。

これも元から予想はしていて。
実際に試してみて、精一杯楽しんで、軋轢も感じながらチューニングしていく必要はあるんだよね。

哲学っぽく言えば、二元論は脱構築する必要あるよね、ということ。

だからもう、道筋は十分示せたと思うんです。
あとはみんなが精一杯、サークルで好きなことをして、不満でも何でも直接言い合って、フィットする形を探していけるといいなあと思えるフェーズになりました。

一言だけあるとすれば、やっぱり倫理観は大事だと思います。
特に陰口というのは頻発しますが、あれは僕は嫌です。
本人に直接言うのが筋な気がします。

問題解決と問題解消(怠けアリの話)についてのnoteを書いたけど、別に不満があれば我慢するのではなく、何でも言ったほうがいいのです。ただそれを陰口にしてしまうと、問題が悪い方向にしか進まないし、それは承認欲求を満たしたいだけになるのよね。また分断になってしまう。意見する必要を感じるなら、直接的に本人と話すのが大事よね!という話です。

分かり合えないなら、分かり合えないままでいい。
お互いの存在が認め合えれば、それでいいと思います。

というお話でした。みんなの幸せと成長を願っています!
ありがとうございました。


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