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程暁農★露・ウクライナ戦のドイツ・ファクター(上)   — 平和主義がドイツの国防力を骨抜きにした —


2022年3月8日

 ウクライナの戦争が始まって以来、国際社会の目はロシアとウクライナに集中しており、さらには米国と中国の動きに注目が集まっている。ただこれは一つ大きな見落としがある。つまりこの戦争の第三の重要な要素であるドイツの存在だ。

 3月5日、イスラエルの首相はウクライナ、ロシアの双方と交渉を調整するためにモスクワでプーチンにあったのち、ウクライナのゼレンスキー大統領と電話会談を行い、その後ベルリンに急ぎ、ドイツの首相に会った。

 ロシアとウクライナの紛争で、 イスラエルの首相がロシアとウクライナの交渉を調整し、ウクライナ大統領には会わずに、ドイツの首相に会いに行くほど、なぜドイツが重要視されるのか?

 それはドイツがEUのリーダーだというだけではなく、ロシアとウクライナの衝突がEU加盟国の安全を脅かす時に、ドイツがどのような立場をとるかは極めて重要だからだ。

 そして、本当に今回の戦争の始まりを理解している政府ならはっきりと、ドイツがこの戦争の起源において演じた重要な役割を承知しているからだ。そして戦争の結末もドイツという要素を抜きには考えられない。

 私は今年2月上旬に台湾の「政经最前线,无码看中国」というテレビ番組でこの問題について語った。今、戦争と交渉が進むにつれ、ドイツの影響がますます明らかになる。

  この一連の記事は、国際的なメディアではほとんど取り上げられることのない、ロシア・ウクライナ戦争におけるドイツの要因について分析する。

 第一は、ドイツの平和主義的戦略がいかにドイツとEUの防衛を解体したかを分析し、第二は、ドイツの「緑のエネルギー」の方針がいかにドイツ経済とウクライナの独立と安全を損なったかを検証し、第三にドイツのグローバリズム的発想がいかにEUの内部ジレンマを作り出したかを論じよう。

 ★プーチンは独を「釣り上げる」まで待った

 2022年、なぜロシアはウクライナに侵攻したのか? プーチンの言い訳は、ウクライナがEUとNATOに加盟したがっているので、阻止するために戦争が必要だというものだ。

 実際には、ウクライナの現大統領ゼレンスキーが当選する1年前の2018年に、ウクライナは憲法を改正し、NATOとEUへの加盟をウクライナの主要な国家戦略として盛り込んでいた。

 つまり、ウクライナがEUとNATO加盟を望んだのは今年ではない。プーチンはその2018年には何も行動を起こさず、2022年までに辛抱強く待っていたのである。

 プーチンは何を待ったのか? 彼は「魚」が釣れるのを待っていたのだが、「魚」とはウクライナではなくドイツである。 ドイツの「自殺行為」は、プーチンに侵略の好機をあたえるからだ。

 ドイツはEUの指導的な国で、EU加盟国の中で最も人口が多く、経済的にも強国であり、EUが遅れた加盟国に与えている補助金のほとんどは、ドイツが負担している。

 ヨーロッパの国々がEU加盟ニ成功するかどうかは、実はドイツにかかっている。ドイツがウクライナのEU加盟に反対すれば、他のEUの中小加盟国は異議を唱えることなどできはしない。

 これは、露・ウクライナ戦争が始まった時に、ウクライナのゼレンスキー大統領がはっきり言明したことである。

 2月25日、ロシアのウクライナ侵攻が始まった後、キエフで早朝に行われた演説で、ゼレンスキーは、EUの各加盟国にウクライナの危機を伝え、「私は彼らに尋ねた-あなたは私たちと一緒にいるのか?

 「彼らは『共にいる』と答えた。しかし、彼らはウクライナをEUに入れたいとは思わなかった。私は27人の欧州指導者に、ウクライナはNATOに加入できるのか?と直接聞いた。皆、恐れて、誰も返事をしなかった。ウクライナがNATOに加盟するのを誰かが準備してくれたか?はっきりいえば、皆、怖がっていた」。

 これがまさにEUがウクライナを守らないなら、ウクライナ侵略は容易に行える、とプーチンが待っていた結果だ。

 ★ウクライナのドイツ的宿命

 ソ連解体後、ウクライナが国内の核兵器を放棄するにあたっての交換条件は、米、英、仏、ロシアと中国といった核大国と国連安保理常任理事会がウクライナの国家の安全を保障することだった。

 しかし、2014年、ロシアがウクライナのクリミア半島併呑とドンバス戦争を扇動してからは、国連や欧州安全保障協力機構などの国際機関はウクライナの国土の分断に対して何もできず、欧米の主要国もロシアの侵略的行動を有効に止めることができなかった。

 これはあきらかにロシアの野心を助長した。1月31日のラジオ・フランス国際放送の分析によると、プーチンは以前からウクライナをロシアの勢力圏に引き入れ、「大ロシアの夢」を実現したいと考えてきたという。

  一方、クリミアの撤去やウクライナのドンバス地方でのロシアに端を発した戦争は、ウクライナの国防上の危機感を高めた。

 2018年にウクライナが憲法を改正し、EUとNATOへの加盟を国家の安全保障の担保として盛り込んだのは、こうした背景が根底にあるからだ。

 ウクライナがEUとNATOの加盟を第一の国家戦略として明記した2018年は、ドイツの国家戦略が次第に親ロシアに向かっていた時期だった。

 プーチンが自ら「網の中に泳いできたドイツ魚」を「追い払う」ことを望まなかった。じっと座って竿を垂れていれば魚がかかるのだから。

 つまりドイツがウクライナのEU加盟に反対するから、ウクライナは孤立無援となり行き詰まり、プートンの軍事的脅威の前に屈するだろうということだ。

 ある程は、今回、ロシアがウクライナに侵攻して3日目までは、プーチンの策略は「成功」したと言える。ドイツはプーチンのために、ウクライナの国家安全保障を求める国際的努力を阻止する役割を担っていた。

 これが、ウクライナのゼレンスキー大統領が開戦時にEUに助けを求めたものの、すべて無駄に終わった本当の理由である。

 ★露のウクライナ侵略に、EUは下策で対応した

 ロシアの強迫行為に対して、EUは理論的には3種類の対応が可能だった。上策、中策、下策である。

 上策は、EUがウクライナ侵略の前に、ウクライナのEU加盟を認めて、NATOに入れてしまうことだった。こうすればEUは集団として危険に対して立ち向かう姿勢を示すことができたし、ロシアの侵略計画を止めることができたろう。

 中策は、ロシアが戦争を始めた後、最も厳しい経済制裁を加え、ロシアのエネルギー輸出という経済の命脈を断ち、ロシア経済を不振にさせること。

 下策は、痛くも痒くもない形ばかりの軽い経済制裁をおこなって、世論をあざむくことだ。

 不幸にして、ドイツはロシアに恨まれまいとして、EUの立場はすっかり軟化してしまった。

ロシアの侵攻を数日後に控えた2月19日、ゼレンスキー大統領は、ドイツのミュンヘン安全保障会議で、「ウクライナの人々は8年前に、命がけでEUとNATOに加入する選択をした 。NATOはウクライナの人々オンために加入へのタイムテーブルを出すべきだ」と言った。

 また、「ウクライナはロシアの侵略の脅威に対する『ヨーロッパの盾』であるとして、侵略を阻止するために欧米がロシアに制裁を加えるべき時である」とも繰り返した。

 そして、 NATOの加盟国(これは主にドイツを指している)がウクライナの加盟を望まないのであれば、そう言うべきだとまで言い切った。ドイツにはっきり言え、と迫ったのだった。しかし、ドイツは聞こえないふりをしていた。

 中策で言えば、最も厳しい制裁はただちにロシアのエネルギー輸出のパイプを切断すること、つまり国際決算システムのSWIFTからロシアを締め出すことだった。これは米国単独ではできず、EUの決議が必要だった。

 しかし、ドイツのショルツ首相は、これに反対した。原因は、そうすればドイツのエネルギーの元が中断するからだ。EUメンバー諸国はドイツとともに自国の安全を放棄してしまっていたので、中策も実施できなかった。(訳注:3月12日から国外送金の国際銀行間通信協会=SWIFT=システムからロシアの一部銀行を排除する制裁措置を採択している)

 こうした状況の下で、EUがロシアの戦車を止めるには、下策しか残らなかった。形ばかりの抗議と軽い制裁措置だ。

 このような弱々しい対応は、プーチンの予想通りであって、全く効き目はない。ではドイツはなぜ、わざわざプーチンの「網の中」に泳いでいくようなことになったのか? それはドイツの「左翼の厄災蔓延」の話からせねばならない。


 ★マルクス主義「左翼の厄災」の発生源ドイツ

 ドイツはマルクスが生まれた土地でもあり、新旧のマルクス主義の故郷だ。ドイツの多くの民衆の大多数はナチズムに対する態度とは正反対で、マルクス主義を恥じることなく、誇りとしている。

 彼らはマルクス主義の本性 — ソ連モデル — に直面しても、ソ連モデルとナチ統治はどちらも独裁主義の本質だということを認めようとせず、それどころかマルクス主義は否定されるべきではなく、新マルクス主義は「政治的な正しさ」であり、支持されるべきだと考えた。

 欧州左派のイデオロギーは知識人によって広められ、米国に輸出されて、米国の思想と文化もしっかりこれに感染して誕生したのが米国の近年の左翼の厄災なのだ。

 毛沢東の文化大革命の時、ドイツでは毛沢東のテロリスト徒党「紅軍派」が出現し、企業家や政治家を誘拐して金を強奪し、それが失敗すると、首謀者たちは共産党政権の保護を受けて東ドイツに逃亡した。

 統一後、こうした連中は西ドイツに戻り、後に極左政党「緑の党」を発展させたが、その初期の主要メンバーの多くは赤軍派の支持者や手先であった。

 今日、有権者の支持を得て、緑の党は内閣に入り、もう一つの左翼政党であるドイツ社会民主党とともに政権を担っている。

 ドイツの「左翼の厄災」は長い歴史がある。ドイツ社会民主党のウィリー・ブラント首相がソ連圏に「新東方政策」(東ドイツを含む東欧諸国との関係正常化を目的とした)を示して以来、ドイツの歴代政府の大半は共産帝国とその配下の諸国に生暖かい政策を続けた。

 それには当然、イデオロギー的なルーツがある。ドイツ社会民主党は歴史的にマルキシズムに親和性があって、そこから政治、経済思想の一部を受け継いでいた。

 この思想は数十年にわたってドイツ社会に影響を与え、ドイツ知識人や文化人はマルクス主義的に左傾することを自負していたのだ。

 長期にわたってドイツの政権を担ってきたアンゲラ・メルケルは、表面上は左翼ではないキリスト教民主政治連盟(CDU-CSU)代表ですが、共産主義の東ドイツで育ち、政権掌握後も、自分は東ドイツでの暮らしで幸せだったと述べている。

 彼女は、マルクス主義や東ドイツの共産党制度について深い批判をしたことはない。(秘密警察システムは別として)。

 明らかに彼女も共産主義遺伝子を帯びた人であり、ドイツ社会民主党の多くの親露政策を受け継ぎました。また平和主義の推進者として、政権はずっと軍事費増加に反対してきました。

 ★「平和主義」の名で軍事費を圧縮

 国際関係において、ドイツ社会とドイツ政治には長い間、ユートピア的な平和主義が一面に広がっていた。「非戦主義」やいわゆる「ペシフィズム」だ。このイデオロギーの背景には西側の自由民主制度や反資本主義的な新マルクス主義があった。

 平和主義は表面的には一切の戦争に反対し、平和と非暴力で国家間の衝突を解決しようというものだ。彼らは戦争の性質、つまり自らの国家を防衛する戦争にも反対する。

 彼らは天真爛漫に、平和的交渉や協商によって解決できると信じている。

 実際、1960年代の平和主義思想の復活は、欧米社会の反ベトナム戦争運動と結びついていた。欧米の毛沢東派は、アメリカのベトナム戦争参戦に反対しながら、戦争を始め、援助したのが彼らの崇拝する毛沢東であることは知らない振りをして、この運動を推進したのである。

 だから平和主義は、大昔の哲学の平和主義思想を借用して自分たちの骨の髄にある新共産主義の価値観を包み込んだものなのだ。このような左翼的な社会風潮の中で、ドイツは必要な軍備の維持に長い間消極的であった

 NATOは当初から全加盟国にGDPの2%を防衛費として支出することを求めているが、NATOが発表したデータによると、2015年のアメリカの防衛費はGDPの3.61%、ドイツはGDPの1%、400億ドルに過ぎなかった。
 トランプ大統領の圧力でドイツの国防支出は2021年にやっとGDPの1.5%になったのだった。

 欧州の防衛に関して、ドイツの防衛戦略は、実際には米国の背中に乗っているようなもの。他のEUの小国の防衛を顧みないばかりか、ドイツ自身の国家の安全さえ無視していた。福祉予算を増やすために、「平和主義」花盛りのドイツは軍事費を節約して、米国にタカリ続けたのだった。

 トランプ大統領のドイツ批判を受けて、ドイツのメルケル首相は、NATOが要求する防衛費を2%に戻すことに消極的だったばかりか、トランプ大統領に大いに不満だった。

 EUの指導者であるドイツがこの有様だから、他の富裕なEU諸国も皆それに倣って、長い間、EUはアメリカなしにはどこも守れないようになってしまった。

 ドイッチェ・ヴェレによると、ドイツは2011年に兵役義務を廃止し、現在、現役の軍人は18万人しかおらず、そのうち6万人は行政、兵站、訓練機関の民間人。

 オフィスで新聞を読み、お茶を飲み、乾いた給料を受けており、名ばかりの戦闘員12万人という。EU諸国防衛戦争などやれる状態ではない。

 ★自衛能力のないEUのリーダー。国防放棄の独

 今年1月末のドイツ連邦議会国防委員会ハンス=ペーター・バーテルスの年次報告によると、ドイツ軍はほぼすべての分野で装備が不足しており、主戦闘戦車レオパルド2はほんの一部しか稼働しておらず、ヘリコプターは半分以下しか空中で使えないという。

 ウクライナ戦争が始まった時、ドイツはようやくウクライナの軍備の一部を支援することに同意したが、ドイツ軍が用意した兵器は古くて使い物にならないことが分かった。

 ドイッチェ・ヴェレ2月25日、「ドイツ連邦軍に国を守る能力はあるのか」と題するレポートを掲載した。この報道では、ドイツ連邦軍のアルフォンス・マイス陸軍大将が、ヨーロッパが戦争の危機にさらされている今、「ドイツ連邦軍と私の指揮下の軍隊はほとんどなにもないといっていい」「NATO提供できる選択はごくごく限られたものしかない」と述べたことを報道した。

 また、マイス大将はソーシャルメディア上で、これは長年にわたる政府の武器費縮小の方針によるものだと述べた。

 ドイツ軍トップの元NATO軍将校エゴン・ラムス氏も、ZDFの夕方のニュース「Heute(今日)」のインタビューで、2010年以降、連邦軍は支出を削減し、弾薬や装備の修理部品などの在庫を減らして縮小しており、それが深刻な影響を与えていると指摘している。

 ここ数年はようやく補充され始めたが、依然として軍隊としての使命を果たせるまでにはなっていないのだという。司会者が「連邦国防軍は国を守れるのか?」と質問したが、ラムスははっきり明快に「簡単に言える。ない」と答えた。

 ウクライナ戦争勃発後、EUは必要な軍備をほとんど持たず、弱小国は戦争を恐れて、ロシアの侵略に強い態度で臨むことを恐れていた。

 多くの部外者は、アメリカが軍隊の派遣を拒否していると非難した。しかし、実際には、EUのリーダーであるドイツが戦争反対を主導し、他のEU加盟国が沈黙していた時、アメリカが軍隊を派遣すれば、EUから強い政治的反発を受けるに違いなかった。

 プーチンがEUの「弱点」を見抜き、ドイツがロシアの侵略を黙認することを見越して、平然とウクライナ戦争を仕掛けたのである。ドイツの「平和主義的な戦略」は、実はプーチンの侵攻への招待状だった。

 無防備な状態のドイツは、長期にわたって紛争を回避するためにロシアとの接近を基本的な外交戦略としており、あまつさえエネルギー供給網を主にロシアに依存させてきた。

 これは愚かにも、プーチンにドイツ経済を「絞め殺す」ための首に縄をつけて差し出したようなものだ。これは続編で論じよう。(終わり)

中)   — 独の「緑のエネルギー政策」が露の「好機」に —https://note.com/19480324/n/n8d0194c2681a
(下)   — 独の欧州統合の夢は壁に —
https://note.com/19480324/n/n80b06a76f7bb

程晓农:俄乌战争的德国因素(上篇)
——德国的和平主义策略如何瓦解了德国国防
2022-03-08

自从乌克兰战争开打以来,国际社会的眼光始终盯在俄罗斯和乌克兰身上,至多再关注一下美国和中国在其中的作用。但这种眼光有一个很大的缺失,那就是漏看了这次战争的第三个最重要的关联方德国。3月5日以色列总理为了调和俄乌双方的谈判,先到莫斯科见普京,然后与乌克兰总统泽连斯基打个电话,便赶往柏林会见德国总理。为什么德国在俄乌冲突中如此重要?以致于以色列总理协调俄乌谈判,不去见乌克兰总统,却要找德国总理?

德国不仅仅是欧盟的领导国,当俄乌冲突危及欧盟成员国安全的时候,德国采取何种立场至关重要;还因为,真正了解这场战争始末的政府都清楚德国在这场战争源起中所扮演的亲俄角色,而战争的终结又离不开德国因素。笔者今年2月上旬在台湾的《政经最前线,无码看中国》节目中谈过这个问题;现在,随着战事和谈判的进行,德国的影响力越发明显。这组文章专门分析少见于国际媒体的俄乌战争中的德国因素。上篇分析德国的和平主义策略如何瓦解了德国和欧盟的国防;中篇探讨德国的“绿色能源”方针如何断送德国经济和乌克兰的独立安全;下篇谈德国的全球主义主张如何造就了欧盟的内在困境。

一、普京等德国“上钩”,欧盟拒保乌克兰

为什么俄罗斯入侵乌克兰是在2022年?普京入侵乌克兰的借口是,乌克兰要加入欧盟和北约,所以要用战争来制止这种行动。事实上,早在2018年,乌克兰现任总统泽连斯基当选的前一年,乌克兰就已经修宪,把加入北约和欧盟作为乌克兰的首要国家战略,写入了宪法;也就是说,乌克兰想加入欧盟和北约,并非今年的事,但2018年普京并没采取任何行动,他耐心地等到了2022年才动手。普京在等什么?他在等着“鱼儿”上钩,这条“鱼”并非乌克兰,而是德国。因为德国的“自杀”举动为普京的侵略行动创造了机会。

德国是欧盟的领导国家,又是欧盟各成员国当中人口最多、经济实力最雄厚的国家,欧盟给予经济较差的各成员国的补贴,多半是德国掏钱。任何欧洲国家想加入欧盟,是否能够成功,实际上取决于德国的态度。如果德国反对乌克兰加入欧盟,欧盟的其它中小成员国不会与德国唱对台戏。这在俄乌战争初起之时,为乌克兰总统泽连斯基所证实。

2月25日俄罗斯对乌克兰的入侵行动开始后,泽伦斯基凌晨在基辅发表讲话时说,他告诉各欧盟成员国,乌克兰岌岌可危,“我问他们——你和我们在一起吗?他们回答说,他们和我们在一起,但他们不想让我们加入欧盟。我问过27位欧洲领导人,乌克兰是否会加入北约,我直接问过他们——所有人都害怕,没有回应……谁准备好向乌克兰保证加入北约?老实说,每个人都很害怕”。

这就是普京在等待的结果,只要欧盟不保护乌克兰,普京对乌克兰的侵略行动就很容易得逞了。

二、乌克兰的德国宿命

苏联解体之后,乌克兰同意放弃境内的核武器,交换条件是,美、英、法、俄罗斯和中国这些核大国和安理会常任理事国担保乌克兰的国家安全。但2014年俄罗斯策动吞并乌克兰的克里米亚半岛并发动顿巴斯战争以后,联合国和欧洲安全与合作组织等国际机构都对乌克兰国土被割裂无能为力,西方的主要大国也未有效制止俄罗斯的侵略行动。

这显然助长了俄罗斯的野心。据法国国际广播电台1月31日分析,普京很久以来就想把乌克兰纳入俄罗斯的势力范围,实现“大俄罗斯梦想”。而在另一方面,克里米亚被割走以及乌克兰境内俄国策动的顿巴斯战争又增强了乌克兰的国家安全危机感。这就是2018年乌克兰修宪,把加入欧盟和北约作为谋求国家安全保障的根本原因。

乌克兰把加入欧盟和北约作为首要国家战略写入宪法的2018年,那时德国的国家战略正逐步走向进一步亲俄的方向,当时普京不想“惊走”德国那条正自己“游进网里”的“鱼儿”;他只要“稳坐钓鱼台”,就可以坐收果实,即操纵德国来反对乌克兰加入欧盟,从而令孤立无援的乌克兰走投无路,臣服在普京的军事威胁之下。从某种程度上讲,直到这次俄国入侵乌克兰的第三天,普京的策略都是成功的,德国为普京尽责尽力地挡住了乌克兰谋求国家安全的国际努力。这就是乌克兰总统泽连斯基在战争开始时向欧盟求助却全然无果的真正原因。

三、俄国发动侵略战争,欧盟选择下策应对

欧盟国家如果要应对俄罗斯咄咄逼人的侵略威胁,逻辑上可以采取上中下三策;上策是欧盟在俄罗斯侵略之前接受乌克兰加入欧盟、甚至加入北约,这样就以欧盟集体承担风险的姿态,迫使俄罗斯停止侵略计划;中策是对俄罗斯启动战端之后实行最严厉的经济制裁,切断俄罗斯出口能源这经济命脉,让俄罗斯的经济从此一蹶不振;下策是采取不痛不痒的象征性轻度经济制裁,只是为了做做样子,骗骗舆论。

很不幸的是,因为德国坚持不能得罪俄国,所以欧盟的立场就完全软化了。面对上策,欧盟所有成员国都拒绝接受乌克兰,甚至连未来给乌克兰一个机会都不肯。2月19日,俄罗斯入侵前几天,乌克兰总统泽连斯基(Volodymyr Zelenskyi)在德国慕尼黑安全会议(Munich Security Conference)上讲,乌克兰民众8年前就作出了有意加入欧盟及北约的选择,甚至为此赔上性命,北约(NATO)及欧盟应向乌克兰民众交代加入的时间表;他也重申,西方国家现在应该制裁俄罗斯,以阻止对方入侵,因为乌克兰就是抵御俄罗斯入侵威胁的“欧洲的盾牌”。他甚至直言,如果北约内有成员国(这主要是暗指德国)不希望乌克兰加入,应该直接说出来,他重申,对方(亦指德国)需要向乌克兰作出一个明确交代。但德国就是装聋作哑。

至于中策,最严厉的经济制裁是立即切断俄罗斯出口能源的收入支付管道,就是对俄罗斯关闭国际结算系统SWIFT。美国没有权力单独这样做,只有欧盟通过决议,才可能做得到。但德国总理朔茨(Olaf Scholz)站出来反对这样的制裁。原因是,如果这样制裁,德国的能源来源就会中断。欧盟成员国只好跟着德国一起“放弃”自己的国家安全,因此中策也无法实施。

如此状况下,欧盟要阻挡俄罗斯的坦克,就只剩下了下策,即象征性的口头谴责和轻量级制裁。这样的低调回应自然在普京侵略计划的预料之中,毫无作用。那德国又是如何“游进”普京的网里呢?这要从德国的“左祸”说起。

四、德国:热爱马克思主义的“左祸”发源地

德国是马克思和新老马克思主义的故乡。德国的多数民众对马克思的影响与对纳粹主义的态度完全相反;对马克思和马克思主义,他们不以为耻,反以为荣。他们面对马克思主义的真实制度—苏联模式,不愿意承认苏联模式和纳粹统治这两种制度都是极权主义这个本质;相反却认为,马克思不能被否定,新马克思主义的“政治正确”一定要坚持。欧洲的左派意识形态通过知识分子的传播,出口到美国后深深感染了美国的思想界和文化界,终于产生了美国这些年来的“左祸”。

毛的“文革”时期德国出现了毛派恐怖主义小集团“红军派”,他们绑架企业家和政治家,勒索钱款,失败后骨干纷纷逃往东德,靠共产党政权保护。两德统一后,这些人又回到西德,后来发展出极左派政党——绿党,绿党早期的不少重要成员当年曾经是“红军派”的支持者或小喽啰。如今,德国绿党在选民的支持下已进入内阁,现在正与另一个左派政党德国社会民主党共同执政。

德国的“左祸”由来已久。自从德国社会民主党的总理维利·勃兰特1969年对苏联集团提出了他的“新东方政策(德语是Neue Ostpolitik)”之后,德国各届政府多半对红色帝国及其附庸国保持温和政策。这种政策走向当然有它的意识形态根源,不仅仅是因为德国社会民主党历史上一直对卡尔·马克思有好感,也因为该党继承了马克思的一些政治经济主张。所以,它对共产党政权有一种意识形态上的亲和感。这种意识形态在德国社会中有着长达几十年的影响,德国知识界和文化界以倾向于马克思主义的左倾为荣。

默克尔曾经在德国长期执政,她虽然代表表面上非左翼的基督教民主政治联盟(该党的德文缩写是CDU-CSU),但她生长在共产党东德,上台后曾经承认,对自己当年在东德的生活感到幸福。她从来没有深刻批判过马克思主义或东德的共产党制度(只批判过秘密警察体系)。显然,这也是一个身带红色基因的人物,她继承了德国社会民主党的许多亲俄政策;默克尔也是和平主义的推行者,在位时一直反对增加军费。

五、“和平主义”盛行,德国长期压缩军费

在国际关系方面,德国社会和德国政界长期以来弥漫着一种乌托邦式的和平主义理念。所谓的和平主义(Pacifism)又被称为非战主义,它的意识形态背景是反西方的自由民主制度、反资本主义的新马克思主义。和平主义表面上反对一切战争,鼓吹用和平和非暴力方式解决国家之间的冲突;他们不区别战争的性质,即使是保卫自己国家的战争,他们也反对,他们天真地认为,通过和平谈判和协商就总能解决国家之间的冲突。实际上,上世纪60年代再度兴起的和平主义思潮和欧美社会里出现的反越战运动有关,而反越战运动是欧美的毛主义派别推动的,他们反对美国介入越南战争,却假装不知道挑起和援助越南战争的正是他们崇拜的毛泽东。所以,和平主义借用了古代哲学里的和平主义思想,来包装他们骨子里的亲红色政权价值观。

正是在这样一种左派社会氛围当中,德国长期以来不愿意维持必要的军备。虽然北约从一开始就要求所有成员国按照GDP的2%列支国防费,但北约公布的数据显示,2015年美国支出的国防费用是GDP的3.61%,而德国仅支出GDP的1%,即400亿美元;在川普总统的压力下,德国的国防开支2021年才达到GDP的1.5%。

在欧洲防务方面,德国实际上的国防战略就是无赖式地搭美国的便车,不但不顾其他欧盟小国的国家安全,连德国自己的国家安全也全然不管;“和平主义”盛行的德国省下钱来多发福利,军费上则常年“揩美国的油”。川普总统对德国提出批评以后,德国总理默克尔不但不愿按北约的规定把国防开支恢复到2%的要求,反而对川普总统非常不满。德国这个欧盟领导国带了这个坏样子,其他富裕的欧盟国家纷纷照搬,长期下来,欧盟如果没有美军,就几乎成了不设防地区。

据德国之声报道,2011年德国取消了义务兵役制,目前的现役军人只有18万人,而其中6万人是行政、后勤、培训机构等文职人员,坐办公室看报、喝茶、领干薪,名义上的作战兵员只有12万。由于国防预算长期削减,从2014年德国就出现了军事装备和配件、弹药严重短缺的状态,这12万兵员事实上也徒有其名,根本不能上阵打仗去保卫欧盟国家。

六、没有自卫能力的欧盟领导国:德国放弃国防

据德国联邦议院国防专员巴特尔斯(Hans-Peter Bartels)今年1月底的年度报告,德国军队几乎每个领域都缺器材,豹2型主战坦克只有一小部分可以投入使用,直升机只有不到一半能升空。这次乌克兰战争爆发后,德国最后同意支援乌克兰部分军械,然后却发现,德军拿得出手的武器都老旧破损,不堪使用。

德国之声2月25日发表了一篇报道,题为《德国联邦国防军有能力保卫国家吗?》,介绍了德军现状。该报道引用德国联邦国防军陆军总司令麦斯(Alfons Mais)的话,在欧洲面临战争威胁之际,“联邦国防军和我指挥下的陆军几乎可以说只能空手以对。我们能够对联盟(北约)提供支持的选项极为有限”。麦斯在社交媒体上还表示,这要归咎于政府多年来缩减军备支出的政策。

而德国前最高层军官、退役北约将军拉姆斯(Egon Ramms)接受德国电视2台(ZDF)的“Heute(今日)”晚间新闻采访时也指出,2010年后联邦国防军缩小了编制,削减开支,减少弹药、装备修配部件等储备,严重影响到部队的应战能力;虽然最近几年开始增补,但仍不足以满足军队执行任务所需要的水准。当主持人问,联邦国防军“有没有能力保卫这个国家?”拉姆斯的回答非常果断:“可以简单地说,没有”。

乌克兰战争爆发后,由于欧盟基本上没有必要的军备,弱国惧战,就不敢对俄罗斯的侵略表明强硬立场。很多局外人指责美国不肯出兵,其实,当欧盟领导国德国带头反战,而其他欧盟成员国默不作声的时候,美国如果出兵,必然在政治上会遭到欧盟的强烈反对。普京正是看准了欧盟的“痛脚”,便肆无忌惮地发动了乌克兰战争,也料到德国会默许俄国的侵略。德国盛行的和平主义策略实际上是向普京发出的侵略邀请书。

德国在毫无国防的状态下,长期以来一直选择亲近俄国的基本对外关系战略,希望以此来避免任何冲突,甚至为此把德国的能源供应链改成主要依靠俄国。这就愚蠢地送给了普京一根“绞杀”德国经济的绳索,也可以说是德国的“上吊绳”。关于这一点,我将在这组系列文章的中篇来介绍。


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