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谷内 博(野球選手) 【パワプロ2020架空選手】

 谷内博(たにうち ひろし, 1981年11月21日 - )は八島帝国塩島市出身のプロ野球選手(遊撃手)。右投両打。現在は帝國ニッケルスパローズに所属している。

史上唯一となる通算1000盗塁(2020年終了時点で1243盗塁)、16年連続盗塁王16年連続50盗塁21年連続30盗塁の記録を保持している。史上5人目となる通算3000安打到達者。連続打数無本塁打記録保持者(5002打数)。

谷内 

国籍   八島帝国
出身地  西豊県塩島市
生年月日 1981年11月21日(39歳)
身長   172㎝
体重   74㎏

経歴

プロ入り前

 帝都で生まれた谷内であったが、小学校入学前に父親の転勤に伴い塩島市に引っ越した。父親の影響で3歳から野球を始め、西豊県立塩島第三中学校では野球部のエース兼四番打者として活躍。しかし県立中学校ゆえに地方大会での成績は芳しくなく、谷内のワンマンチームと言われていた。また、当時は右打ちであり現在のようなスイッチヒッターではなかった。
 西豊県立平金高校に進学。進学後は内野手に転向し一年時からサードのスタメンとして起用される。二年生時にショートに転向すると地方大会打率.750の活躍でチームを牽引、神宮全国高校野球大会に出場。しかし本大会では一回戦敗退に終わる。

 三年時、一番ショートに定着すると地方大会も順当に勝ち上がり二年連続で神宮野球大会に出場。谷内を中心とした機動力で攪乱する野球により大会を席捲、決勝出場を決める。帝都大会を勝ち上がった帝都工業大学付属高校との決勝戦ではエース高梨を相手に4打数2安打2盗塁と持ち味を発揮、3ー2で神宮野球大会を制した。
 高校通算本塁打18本、公式戦通算打率は4割を上回る数字であった。一方で本塁打のほとんどはランニングホームランであった。

 1999年のドラフトでは高梨とともにドラフトの目玉として注目されたが、帝國ニッケルスパローズがドラフト一位で谷内を獲得、ドラフト二位で高梨を獲得するという後に言われる「大正義ドラフト」となり入団が決定した。背番号は過去スパローズの名選手たちが若手時代に付けていたことが多い63に決定した。

スパローズ時代

 プロ入り後、右打ちだった谷内の打撃の非力さが目立った。一方で歴代最速レベルの俊足と守備範囲の広さ、肩の強さは一軍レベルと評価され早期の戦力化を目指しスイッチヒッターへの転向を決定した。

 2000年、一年目からショートのスタメンとして起用される。一番ショートに固定されるとフル出場し.263、134安打、48盗塁で一年目にして盗塁王を獲得、チームも優勝した。この活躍により新人王を獲得
 2001年は疲労に伴う不調で出場試合数を減らしたが.278 116安打30盗塁で彼の持ち味は発揮されたシーズンであった。
 2002年は開幕から好調な打棒を披露し一時は打率が3割を超える活躍を見せた。その後多少数字は落としたものの.294 162安打の活躍、さらに60盗塁で再びの盗塁王を獲得した。
 2003年はプロ初本塁打を記録したものの、盗塁王を逃すなど不満の残るシーズンだったと後に本人が語っている。しかしこの年も打率.275と谷内の定着によりスパローズの一番打者は確定したと言ってもよく、ここから15年以上にわたりスパローズの一番打者は谷内が務め続けることとなる。
 2004年は低迷するチームの中で気を吐き.279といつもの数字を記録すると58盗塁で盗塁王を獲得。これ以降2019年まで16年連続盗塁王を獲得し「レジェンドに片足を突っ込んだ」状態となる。
 2006年には自身初となる打率3割を達成、.308 149安打60盗塁を記録。打撃の好調も評価されキャリア初めてのゴールドグラブ賞を獲得。2008年はシーズン最終戦で打率を3割ちょうどに乗せると2010年は開幕から首位打者争いを繰り広げる活躍で非力だった打撃面も改善された。結局シーズン終盤に不調に陥り首位打者は逃したものの.318とキャリアハイの数字を達成、優勝の原動力となった。
 2011年は打率こそ.289と低い数字に終わったものの「最多安打を狙う」と宣言した通りヒットを量産。168安打を打ち最多安打は逃したもののリーグ3位の数字を残した。さらにこの活躍で盗塁機会が増えシーズン81盗塁で歴代2位の記録を樹立した。
 2013年には久しぶりにホームランを記録し連続打数無本塁打記録が途絶え、連続無本塁打シーズンも9年連続で終わった。打率も.298と好調であった。2014年も首位打者争いに絡む活躍を見せ8月からのチームの追い上げに協力したものの惜しくも優勝は逃す結果に。.319の活躍でわずかにキャリアハイを更新、盗塁キャリアハイの更新も期待されたが結局77盗塁で終わった。2015年はキャリアハイ182安打、さらに80盗塁で歴代3位タイの記録を樹立、失策数を減らしたことでゴールドグラブ賞を受賞した。
 2016年、通算955盗塁で迎えたシーズンはアンタッチャブルレコードの通算1000盗塁達成が期待されていた。8月10日の試合でついに通算1000盗塁を達成。2017年、57盗塁を記録し36歳での盗塁王獲得で歴代最年長盗塁王記録を更新した。2018年も同じく57盗塁で盗塁王、最年長盗塁王記録を更新。37歳での盗塁記録を更新。2019年には73盗塁で同様に記録を更新、2015年から5年連続でゴールドグラブ賞を獲得した。2016年から19年までは安定した数字を記録し続け、4連覇を支えた。
 2020年、不調により出場試合数を減らした。キャリアで初めてとなる規定打席未達に終わり、チームも4位に低迷した。一方で谷内個人は3000安打を達成するなど個人的には充実したシーズンであった。世代交代が急がれるチームの中で39歳の谷内が問題となったが、.282 42盗塁と未だに能力は衰えていないことを見せつけた。

選手としての特徴

 右打ちで入団したがスイッチヒッターに転向した。一方で入団当初コーチに対し「転がしてヒットを狙うようなバッティングをするな」と言われたことで外野の前に落とすバッティングも身に着け打撃の幅が広がった。右利きのため右腕が強く、左打席では片手でのバットコントロールに優れる。
 一方で右打席での打撃には入団当初苦しみ、三遊間に引っ張って強いゴロを打つことを意識し、差し込まれてもライト前にはじき返すことができるようになったことで打撃成績が安定した。
 通算打率.282、キャリア最低打率が.263、キャリアハイが.319と数字が高いレベルで安定しており毎年同じような数字を残すことから機械呼ばわりされることも多い。選球眼は決して良くなく、出塁率はあまり高くないが歴代最高の一番打者として名高い。
 一方で長打力に関しては論ずるまでもなく低い。入団時のコーチよりヒットを打つことを重視し長打を狙わない打撃に徹したことが大きいと言われている。通算3000安打、通算2000安打での最少本塁打記録を保持している。

 俊足に関しては入団当初50m5秒8を記録するなど球界最速の名をほしいままにした。盗塁技術は当初低かったが俊足を生かして盗塁を稼ぎ、その後経験を重ねるにつれ盗塁技術を磨いたことで毎年盗塁数が安定するようになった。
 走塁に関しても技術は高いものの本人の長打力が低いことにより二塁打や三塁打の数はあまり多くない。それでも通算三塁打79本で歴代15位を記録している。

 守備面については入団当初は粗さが目立ち、俊足による守備範囲の広さこそあれどエラーも多いタイプであった。しかし経験を重ねたことでゴールドグラブ賞を受賞するまでに至り、39歳となった今となっても守備範囲に関しては非常に高い数値を記録している。
 特にポジショニングで脚力の衰えをカバーしており、また肩の強さに頼らずに守備をする技術を高めたことで安定感が増した。

人物

 スパローズ史上最高の一番打者であり、スパローズ史上最高のショートとも評されている。一方ここ数年は二番打者に強打者を入れるというチーム方針により盗塁機会が減少している。
 最近二番打者を務めている黒瀬とは二遊間でコンビを組んでおりここ3年は二人とも二遊間の守備範囲でリーグトップの数値を記録し、歴代最高の二遊間との評価を受けた。
 スパローズ管理野球時代を知っている大ベテランでもあり、近年の自由な野球を知る選手でもある。本人も自由なプレーが認められる最近を評価しており、管理野球については「ランナーがいるときはゴロしか打たせてもらえないような野球はダメ」と打撃の幅が狭まることを嫌っている。
 自身の後継者がなかなか出てこないことに関して危惧しており、特にチームメイトの熊切にかんしては自主トレにも呼ぶなどよく面倒を見ている。


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