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再生


前書き

 この記事はトロオドン怪文書アドカレ2023に併せて執筆したものです。実在の人物・団体とは関係のないフィクションですのでご了承ください。

本編

 どこにいるんだ……なごみ……!なごみ……!なごみ……!阿部和がどこにもいない……クソッ、どこに行ってしまったんだ阿部和……!ME:Iのどこにも阿部和がいない!なぜだ、どこに行ったんだ阿部和……!阿部和……23位……!?

 ハッ…!夢か……。また今日も変な夢を見ていたようだ。阿部和がどこか遠くへ行ってしまう、そんな夢を見ていたようだ。バカバカしい。
 昨日会社のビンゴ大会で引き当てたのが、阿部和関連グッズだったというのもあるかも知れない。俺は野球には興味がないのに。なんでよりによってそんなものを引き当ててしまったんだ俺は。

 悪夢の残像を消し去るかの如く洗面台に向かうと、冷水で顔を洗った。今日も今日とて出勤だ。起床時間まではあと20分しかないからもう一眠りするわけにもいかない。変わり映えのしない毎日、ただ灰色に塗られた人生だが仕方ない。厭な気分だがそれでも生きると言うことは案外そういうことなのだ。定型化された毎日、カラフルで美しい日々は過去へと消え去り、ただ毎日目の前のタスクに追われるだけの日々が続くのだ。
 しかし歳をとると言うのはそういうことだ。歳をとり、経験を重ねれば人は新しい体験をすることも減り、毎日がモノクロに染まっていく。そうしてモノクロに染まった毎日を、ただ反射で淡々とこなしていくことこそが人生なのだ。
 今日も電車に揺られて会社へと向かう。車内のモニターに映るニュースでは昨日の試合で阿部和が逆転タイムリーを打った様子が報道されていた。すごい選手なんだな、となんとなく思った。
 会社に行くといきなり警備員に話しかけられる。今日は何もかもがツイてない。むしゃくしゃした心を落ち着けるために俺はタバコに火をつけた。だがそのせいでビルから叩き出されるハメになった。今日は何もかもうまくいかない。とりあえず電話で連絡しておくか。
 部長からの返事は素っ気無いもので、とりあえず今日は外回りをしてこいとのことだった。外の天気はあいにくの曇りで、今にも雲が抱えた水分が溢れ出さんとどんよりした空気が立ち込めていた。部長も面倒な仕事を押し付けやがる。明日は明日の風が吹く、今日の風当たりは強いが、今はこれを耐えるしかない。
 低気圧に頭をやられ、偏頭痛に苦しみながらもなんとか関係各所に接触した。プロジェクトは順調に進んでいるということを確認し、ほっと胸を撫で下ろした。

 「阿部和はどこへ行ったんだ」という、今朝の悪夢でリフレインした言葉がずっと脳内をグルグルする。頭が割れるように痛い。ME:I……ミーアイ……俺が夢で見たものはいったい何だったんだ。
 カフェでコーヒー片手に休んでいると、今朝鉄道の車内で見たニュースを思い出した。阿部和……。これも何かの縁だ、一度現地で見ておくべきかもしれない。プロ野球のチケットを買うと、足は球場へと向かっていた。こんなところを部長に見られたら殺されるだろうが、今日は仕方ない。全てがうまく行かない日なのだから。

 鉄道に揺られながら郊外へと向かう。球場の最寄駅を出るとすぐそこにドーム球場の屋根が見えた。丘陵の中に作られた自然一体型ドーム球場……なるほど、ドーム球場とは言っても開放感のあるデザインに驚く。しかしじめじめとした湿気が球場内にも立ち込める今日のような日は、むしろ空調があった方が過ごしやすい。
 売り子からビールとつまみを買い、ネクタイをゆるめて完全に全てを忘れることにした。乾いた喉にビールが沁みわたる。今日はもう何もしないという覚悟の一杯だ。
 球場内のアナウンスでスタメン発表が開始された。

「3番レフト、阿部和!背番号23!」

 阿部和の背番号は23、という野球ファンなら誰でも知っているような情報ですら新鮮だ。左投げ左打ちの外野手、左利きの天才肌か。
 初回、2アウトランナーなしで阿部和の第一打席を迎えた。レフトスタンドのホームチーム応援団は「俺たちの首位打者 阿部和」という横断幕を掲げ、応援歌を熱唱している。気づけば応援歌を口ずさんでいる自分がいた。しかし初回はセカンドゴロ、凡退に終わる。

 試合はその後一進一退の攻防を見せるが、ホームチームは1点差のビハインドで8回裏を迎えた。先頭打者がフォアボールで出塁すると、続く9番打者がヒットで繋ぐ。1番打者はセカンドゴロとなり、1アウト一、三塁。さらに2番打者もサードフライを打ち上げ、2アウト。もはや万事休すと思ったところで、3番レフト、阿部和がやって来た。相手チームは左腕ピッチャーに交代、絶対に打たれたくないという意志を見せる。
 初球、カーブを空振り。かなり泳がされたスイングをしていたあたり、ストレートを張っていたのだろうか。さらに2球目、インハイストレートのボール球に手を出しファウル。あっさりと追い込まれてしまう。3球目はインコースのカットボールだったが、これをしっかりと見極め1ボール。4球目、インローのカットボールをなんとかファウルして逃れる。インコースの速球系ばかりが続くこの打席、最後は絶対にあのカーブが来る。
 第5球、相手バッテリーの選択はやはりアウトコースのボールゾーンのカーブだった。インコースを強く意識させた上でアウトコースの緩い変化球で仕留めるという算段か。阿部和はあのカーブを空振りした、相性は良くないと言えるだろう。
 しかし違った。阿部和はしっかりと後ろに重心を乗せ、待ちの体制を作れていた。しっかりと待ち、そしてアウトコースボールゾーンのカーブを三遊間へと弾き返した。強いゴロとなった打球は外野へと抜け、これが同点タイムリー。球場は歓喜に沸いた。昨日は逆転タイムリー、今日は同点タイムリー、阿部和に限界はないのか。これが天才なのだなと思い知った。
 その後のことはもう覚えていない。ただ、あの三遊間を抜けるヒットの美しさと、喜ぶ阿部和の横顔だけを僕は覚えている。そうだ、俺は阿部和の喜ぶ顔が見たかったんだ……帰り道、ふとそんなことを思うとなぜか涙が込み上げて来た。なぜだろう、阿部和のことを思うと心がざわつく。しかし今日はいいものを見れた、その嬉しさで家路が愉快なものとなった。

 激しい頭痛に苛まれ、俺は眠りから覚めた。真っ暗な部屋に目が慣れてくると、いつもの自分の部屋だと気づく。そうか、いつもと何も変わらない日々か。なんだかすごく変な夢を見ていた気がする。変な夢だったが、不快な夢ではなかった。なんなら今からもう一度二度寝すれば、あの夢の続きを見られるかもしれないとすら思う。なんだかわからないが、そんな夢だった。
 ふと机の上に目をやると、阿部和のアクスタが見える。初めてホームページを見て阿部和と目があった時のことを思い出し、「そうだ、いつまでも夢の世界に浸っていてはいけないんだ」と思わせられた。どんなにそれが甘い夢であってもだ。俺たちの首位打者 阿部和も、現実に向き合っているのだから。現実と戦うことへの決意を固めた。目覚ましが鳴るまであと20分、起きないといけない時間だ。

 ふと目が覚めると、真っ白な病室にいた。窓から見えるのは田舎町、そして海、青空。ここはどこだ。

「おはようございます、トロオドンさん。」

 看護師さんに話しかけられた。

「おはようございます……。」
「トロオドンさんは1ヶ月昏睡状態にあったんですよ。」
「はぁ……ここはどこですか?」
「紀南病院です、三重県の御浜町の。」

 ああ、紀南病院か……。田舎には似つかわしくない綺麗な病室は、病棟を建て替えたからか。なんだかとても頭がすっきりして気分がいい。最高の目覚めだった。紀南病院と言えば三重県南牟婁郡御浜町阿田和。なぜこんな血の果てのような阿田和まで来たのか、俺はやっと思い出した。しょうもない理由だ。
 なんだかわからないが、生まれ変わったかのようにスッキリした気持ちだ。阿部和は……残念ながら夢が叶わなかった。悔しい気持ちは正直ある。でもこの悔しさと向き合っていかなきゃいけないんだよな、きっと。
 熊野の海は綺麗だ。だから病室から海を見ながら、自問自答を繰り返す。自分に問うているようで、それは海や空に問うような、そして神に赦しを乞うようなものでもある。
 俺の中にいる神は俺のことを赦し、そして背中を押してくれた。そうだ、前を向いて歩いていかねばならんのだ。阿部和は、すでに前に進んでいるのだから。俺たちも、前に進まないといけないんだ。そう思えた時、この世界がとても色彩豊かに見えたのだ。

あとがき

 阿部和のレフト前ヒットを冒頭に持ってくる予定で書いてましたが、当日になって大幅にというかレフト前ヒットの件以外ほぼ全て書き直したので、当初のイメージとは全く違うものとなりました。とはいえ、終わり方が前向きな感じになったなと思ったので、個人的には満足しています。ほなまた。

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