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東大図書館で知の巨人の足跡を追う 森鷗外歿後100年記念展

 東大附属図書館で開催されている「テエベス百門の断面図 歿後100年記念 森鷗外旧蔵書展」を見学してきました。
 図書館の閲覧スペースは東大関係者しか入れませんが、展示会は誰でも無料で見学できます。おまけに分厚い目録まで無料だなんて、国立大学だからとはいえ、太っ腹ですね。

 だけど「テエベス百門の断面図」って…。東大生はこれを見て「おおっ。面白そうだな。ちょっと見て行くか」と思うのでしょうか? もともと小難しそうなイメージがある鷗外を、ますますとっつきにくいものにしているのでは…。

 展示会の名前は、医者兼詩人だった木下杢太郎が鷗外を「テエベス百門の大都」と呼んだことにちなむそうです。木下杢太郎は、鷗外の小説『青年』で主人公を導く先輩のモデルになっていますが、ご本人は鷗外を深く尊敬なさっていたんですね。
 テエベスは、テーベ。新王国時代のエジプトの首都です。ホメーロスの叙事詩『イーリアス』に「ここでは家々に莫大な富が蓄えられ、城門の数は百、それぞれの門からは二百の兵が戦車を列ねて出撃できる」(岩波文庫 松平千秋訳から引用)と当時のテーベが描写されている箇所があります。

 森鷗外は作家であり、軍医でもありーー軍医の最高位である軍医総監に昇りつめたことは以前から知っていました。あと、鷗外訳のアンデルセン『即興詩人』を岩波文庫で見た覚えがあったので、翻訳もしているんだなと。
 でも、この数ヶ月鷗外の足跡を追ってみて、鷗外にはそれ以外にも多くの顔があったと知りました。詩人、歌人、大学の教員(陸軍大学だけでなく、美大や慶応、早稲田でも教えている)、帝室博物館(今の東京国立博物館)の館長etc。作家としては現代小説・歴史小説・史伝を書き、翻訳家としては小説や戯曲だけではなく、哲学書や美術書まで訳しています。
 六十歳という決して長くはない生涯、軍医・官僚として忙しい日々だったはずなのに、多くの分野で大きな足跡を残した森鷗外。
 「テエベス百門の大都」という言葉は、そんな森鷗外を詩的に表現した言葉であり、その言葉を冠した展示会では、東大図書館が所蔵する鷗外文書によって、鷗外の多様な側面が示されていました。

 特に圧巻だったのが、「知識への渇望」のパートです。鷗外の蔵書が展示されているのですが、梵語研究の注釈書、俳句の指南書(自分が苦手な分野だと自覚していたようです)、茶道の解説書、仏教をはじめとする世界の宗教の解説書、労働問題に関する書籍、日本の建築技術や刀剣についての書籍、楽器の解説書、乗馬の解説書(軍人なので、普通に馬に乗れた)、動植物の解説書、相撲の解説書etc鷗外の小説などには出てこないジャンルにも興味も持ち、赤線を引いたり、特には書き込みもしたりしながら、自分の糧としていたのがわかりました。
 これほどの幅広さと奥行きのある教養の持ち主だからこそ、『渋江抽斎』のような"一つの世界観を読者に提示する小説”(日本にはあまりない小説)を作り出せたのだと思います。

 ただ、私がこの展示会を知ったのは、鷗外が美大で教えていた時の講義メモが発見されたという新聞記事によってなんですね。記事によると、鷗外の蔵書を整理していた時に、本に挟まっているのが発見されたそうです。本に挟まっているメモーーといっても、原稿用紙二枚分の決して見つけにくいものではありません。鷗外の遺族が文書を寄贈したのは1926年なのに、本に挟まった原稿用紙が気付かれずにいたなんて、鷗外研究は始まったばかりなんですね。鷗外って、研究者にもあまり人気がなかったのか…。そう考えて、少し寂しくなりました。
 この展示会をきっかけにして、鷗外に興味を持つ人が一人でも増えてくれればいいなと思いながら、東大の本郷キャンパスを後にしました。

 展示会は11月28日まで開催されているので、お近くに行かれた際には、ぜひ立ち寄ってみて下さい。地下鉄本郷三丁目から徒歩数分(東大前駅からだともっと歩く)。図書館は三四郎池の手前にあります。本郷キャンパスは緑も多く、近所の人たちの憩いの場になっているので、気兼ねなく入れます。スタバ東大店でコーヒーを飲んでくつろいでしまいました。





 
 


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