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僕のピアノ修行ハンガリー珍道中


「左手は時計のように、右手はオペラ歌手のように。by F.ショパン」

僕は1989年に日本の音楽大学を卒業後、直ぐに渡欧しました。行き先はハンガリーでした。当時のハンガリーはまだ社会主義でしたが、ピアノにおいては西側諸国より圧倒的に進んでいた気がします。そこで僕が当地で経験した面白い話や、ハンガリー国立リスト音楽院での貴重な話をピアノテクニックやその他音楽のエッセンスを散りばめて物語風に語っていきたいと思っています。

ご興味のある方は是非お立ち寄り下さい。

髭をたくわえた紳士はステッキを軽々もち軽快に歩いていた。すれ違った女性のスカートは花のようにフワッと広がっていた。
道は土煙りで視界を見にくくした。
だが、しばらくするとぼんやり辺りが見えて来た。

馬車が左右を行き違いに走り回っていた。道端では花を売る少女が揃っていない花を綺麗に見えるように並べていた。高くない草花が咲いている広場のあちらこちらに靴を磨いている人たちがいた。
馬車の馬が言うことを聞かないで騒いでいるのを遠ざけながら、貴婦人たちは怪訝な表情で移動していた。食料や日常品を欲しい者たちは、広場の片隅で物々交換をしていた。そこの広場から100mぐらい離れた場所に大きな建物があった。
ハンガリー国立リスト音楽院だ。音楽院の前は砂嵐が舞っている。

これが僕の持っていた唯一のハンガリーのイメージであった。
飛行機には乗ったものの、ハンガリーについての知識は1mmも無かったのだ。
作曲家F.リストが創設したという事だけは知っていた。
それ以上の情報は『作品・生涯 F.リスト』という書籍から抜け出せないでいた。

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